なんとかかんとか体調が回復してきたのでようやく外出してきました。もちろん行く先は映画館。
というかむしろ外出せずに閉じこもってたから体調が回復しなかったような気もするぞ。
さておき、今日見てきたのはこれ!
![](https://img.txtlive.net/episodes/image/b7e6232b1fc14210acf4f092a3f7a649.jpg)
例によって例のごとく、本作も塚口での上映で初めて知った作品。
個人的にブラムハウス作品は当たり外れが大きい感じですが、本作はポスターの時点でイヤ~な気分になれそうな作品のかほりがしたので見ることにしました。
本作は90分ワンカットのスリラー。文化多様性に反対する差別主義的な白人女性のグループが、アジア人女性と口論になったことへの報復を企てるのですが、事態はどんどん悪化していき……というお話。
そもそも映画に限らずフィクションというものは現実を誇張するもの。では本作に登場する差別主義的な白人最上思想はフィクション的に誇張されたものかというと、残念ながらというべきか誇張されたものではなく、現実にこのレベルの差別的言動はいたるところで行われています。
それを映画館という外界から遮断された環境で、しかもカメラが犯行を行う白人女性グループに常に向けられているワンカットで見せつけられるのは、公式サイトにおけるベス・デ・アラウージョ監督の言葉を借りるなら「安心」を奪われる体験でした。
本作で主人公・エミリーをはじめとする白人女性グループは、有色人種への嫌悪感や憎悪を募らせて、最終的にアクシデントとは言え殺人にまで手を染めてしまいます。
では彼女らは凶悪な殺人集団かというとそうではない。彼女らは差別的な思想を持っているとは言えそれぞれの生活や家庭を持つあくまで普通の女性たち。しかし、あるいはだからこそタガが外れてしまったあとの後先考えない行動がわかりやすい殺人鬼なんかよりもよっぽど怖い。
しかも、前述の通り本作は全編ワンカットなので観客は彼女らの犯行を最初から最後まで見せつけられるので、差別的思想を持ってるってだけで人間はここまで狂ってしまうのか……と慄然となりました。
また、事態がどんどん悪化していることもあってこの狂気がこんな長時間に渡って持続しているというのも怖い。実際、行動がエスカレートしていく中で何度も正気に戻るチャンスはあったはずなんですよね。にも関わらず彼女らは最終的に湖に死体を投棄するところまで行ってしまうというのは、自分たちのタガの外れた行動によってさらにタガの外れた行動に追い立てられてしまっているからなんでしょう。
そしてこれは差別的思想も同じで、タガの外れた思想に染まっていくと芋づる式にその思想や行動は過激化していくと言えるのではないでしょうか。そうやって過激化していく思想は、一線を超えてしまうと取り返しのつかないことになってしまう。
本作では最終的に、殺されたと思われたアジア人女性2人のうち1人は実は生きてて、湖に投棄されたあとに息を吹き返す――というシーンで幕を閉じるわけですが、これはいわゆるヘイトクライムによる犯罪行為や加害行為、ひいては差別的思想それ自体は決して多い隠し切れるものではない、ということだと感じました。
ある映画を見るタイミングというのは人それぞれだと思うんですが、サンサン劇場では明確な意図やタイミングがあって各種の作品を上映しています。本作もやはり、ヘイトクライムやSNSにおける差別的思想の過激化が進んでいる今このタイミングで見ることに意味がある作品だったと言えるでしょう。
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