愚痴り続けるとおり呼吸困難が進む。立っておるだけでも、肺胞を満たそうとするも胸部背部の拘束が酷く、十分な吸気できない。酸素不足の心肺ゆえ、ちょとの動作でも不整脈が起こることがある。楽にしてソファに延びたり、ベッドで寝る分には自然な呼吸ができている と思う。1年近く前、妻が逝ってすぐ始めた在宅酸素療法。昨年の1月のブログを観ると月末頃に茶パイロット畑を無酸素でうろつく元気は残っていたようなのに、現在、酸素を吸っても情けない状況である。好きな車に例えれば、NA(ノーマル アスピレーション;自然吸気)から高馬力のターボ過給機付きの車に乗り換えたのに、気化器(キャブレター)が詰まっているボロ車だった・・・と。
まだまだと気構えだけで日常を過ごそうとするが、一つ一つでなくゴッソリとできる事がなくなる。何もせず一日が終わる。たとえば今日の一日を言おう。
朝6時前には娘が起床、朝餉を用意して仏壇にも食事セットを上げ、しっかりメークして7時前には車がでてゆく のを、ベッドで聞きながら、延びてしまう。8時前にようやく起床。着替えして洗面だけでハァハァ息があがる。リビングのソファに延びる。玄関の新聞を取りに動いても同じ辛さ。9時ころ朝食。すぐソファで魔法瓶のコーヒーと新聞とTVで過ごす。トイレに立つまではソファから離れない。1時か2時頃のの昼食を済ませてからも、午前と同じスタイルで過ぎてしまう。残る息子らに伝えたいことだらけである。せめて覚えのメモ と思うが、思うだけで起てない。動きだけでなく思考までだるくなってしまったのだ。
と、書いてきたのが夕刻のころ。6時頃に小用に立つが、パソ机から10歩ほどのトイレの往復が咳を呼び、ソファに倒れ込む。ちょっとした動きのあとには咳が止まらなくハァハァと息があがる。倒れ込むと、何事も面倒になりそのままソファから離れない。せっかく娘が借りてきてくれた日本文学全集(今回は野上、林、宮本、幸田さんや平林さんの作品をまとめた分厚い1冊)に手を伸ばせばよいものを、安易なTVで楽をする。楽な方へ楽な方へと身体と思考を流せば、もぉ、8時前である。ちょいとだけ7時のニュースをみて、外国モノの犯罪画面を観る。Uチューブ的画面を観ながら娘の友達Mさんが山形から持ってきてくれた日本酒を飲んだ。このようにダラダラした日を過ごしておりますが、そのだらけた内容も少しは書いてみましょう・明日にでも。
8時の今、ラインにレスしなかったために娘から電話。帰宅が9時になるらしい。先に夕食を済ますように とのこと。寂しく一人で済ませます。夕食はおもに娘が造るのですが、隣の嫁もちょいちょい作ってくれるので、楽に過ごせるのです。呑みすぎないようにします。ハァハァ言いながらのお酒・・・アカンのだろうなぁ~
息抜きに、昨日の録画消化で気に入った画面を貼り付けます。六角精児の呑み鉄ダイジェスト版から、只見線の一画面です。いつも流れるヂーゼルは特別として、折々の島倉千代子・愛のさざ波がよろしい。2007年6月にはR252を愛車306で駆けたのですが、土地の風景を肌で感じるのは道路より鉄路の旅が好さそうに思えます。鉄路の方が人々ともに過ごした時間が長かったのかな と。道路は車社会になってようやく開かれたと。