地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



市立図書から何度も借り出して今も手元に”梶井基次郎;ちくま日本文学全集”がある。農作業が忙しいこともあり、読みがすすまない。以前にも何度も読んだが、つい、同じ呼吸器の病をもつ共通項?でちょいと深入りしつつある。

 

それとは別に、つげ義春の作品に梶井を読んでいたはずの件があるのを想い出し、ほっとしている。漫画家のつげ義春のマニア間ではつげが梶井に傾倒していたのは良く知られた話であるらしい。”レモン”での街並みのこと、あるいは、子猫だったかの肉球を瞼に当てて喜ぶ主人公の噺がよくひかれている。

 

 が、私が一番好きなのは”ある崖上の感情”にみつけた。上手く表せないから、その部分を書き写す。何度も読む。そしてつげの画を想い出す。

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それは彼の田舎の家の前を通っている街道に一つの見すぼらしい商人宿があって、その二階の手摺の向こうに、よく朝など出立の前の朝餉を食べていたりする旅人の姿が街道からみえるのだった。彼はなぜかその中である一つの情景をはっきりと心にとめていた。それは一人の五十がらみの男が、顔色の悪い四つ位の男の児と向かい合って、その朝餉の膳に向っているありさまだった。その男の顔には浮世の苦労が陰惨に刻まれていた。彼はひと言も物を言わずに箸を動かしていた。そしてその顔色の悪い子供も黙って、慣れない手つきで茶碗をかきこんでいたのである。彼はそれを見ながら、落剝した男の姿を感じた。その男の子どもに対する愛を感じた。そしてその子供が幼い心にも、彼等の諦めなければならない運命のことを知っているような気がしてならなかった。部屋のなかには新聞の付録のようなものが襖の破れの上に貼ってあるのなどが見えた。

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