崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

動画と画像の鑑賞

2018年06月17日 05時16分43秒 | 日記

 昨日午後6/16 15:00〜拙宅で拙著『慰安婦の真実』の出版記念会の呼び掛け人が集まった。感謝の気持ちをお返しする気持であったがお花やケーキ、フルーツ、ゼリーなどたくさんのお土産をいただいて恐縮、「日本研究特別賞受賞」のお祝いに変わってしまった。申し訳ない気持ちと感謝、とても嬉しかった。その時に撮っていた映像(権藤)画像(秦穴)を鑑賞のために準備したつもりであったが上手くいかず一瞬戸惑った。動画には自分の様子が映って照れ臭い時もあった。今これから朝の船でソウルから来られる姉を迎えに港へ行く。感謝すべき嬉しいことが高調する。そして高齢を感ずる今このごろである。


感謝

2018年06月16日 05時28分43秒 | エッセイ

 韓国では誕生日など私事ではあるが喜ばしいことを友人や知人たちに祝ってもらうことが多い。また、自ら祝うこともあり、それを「自祝」という。日本では顰蹙を買うと注意されるかもしれない。日本研究特別賞の受賞を本欄に書いた。初めてのことであり、誰からでも褒められるのは嬉しい。日本では褒めると手を横に数回振り、否定の表示と嬉しい表情をする。これは謙遜文化(?)であろう。私の受賞に世界各地から祝いのメールや電話、投稿、プレゼントが届いている。昨日は馴染みの薬剤師さんからチョコレート、台湾の頼さんからはクッキーとお茶が届いた。祝福、感謝の生活を幸せという。


日本研究特別賞受賞

2018年06月15日 04時59分02秒 | 研究業績

 社会には暗闇の面が多い。私はそれらの恨、泣くこと、戦争、慰安婦などを主な研究テーマにしている。昨日産経新聞の朝刊に掲載された私の受賞の記事の見出しは「戦争と性」であった。正しく評価していただいた。暗闇の問題を扱ってきた私に暗いイメージがあるかもしれない。次作からは明るいテーマにしようかと読書会で話題にした。櫛田学長と熊本居住の本田侃氏も参加した。これから花など明るく美しいものへの転換したいという私のということばに本田氏はフェースブックで私の研究状況を理解しており、暗い問題を扱っても客観的に正しく、明るくしているので転換することは必要ないというので大いに励まされた。花の美をもって、日本人の宴会花見、花ナショナリズムを書くとまた非難されるかもしれない。


新聞普及について

2018年06月14日 06時25分07秒 | 日記

 ある有名全国新聞を買いに早朝から下関市内を数か所を回った。販売普及所の電話には応答なし。買えなかった。大手新聞とはいっても地方まで販売組織が充実していないことを知った。記事や編集だけで盛業するのではない。末端までの普及などにも気を遣うべきである。

 朝から原田環先生、鄭大均先生、櫛田学長、佐々木正一様など多くの方から受賞の言葉をいただきました。また西山氏からは新聞コピーを送ってくれました。本当にありがとうございました。

  

 


トランプ遊びのようなトランプ大統領

2018年06月13日 05時20分57秒 | 日記

 トランプ遊びのようなトランプ大統領と金正恩委員長の会談をCNN、NHKや民放を切り替えながら日中、映像で嬉しく拝聴した。ただ訳もなく繰り返される映像には本当に呆れ、疲れた。敵国とのトップ対面があまりにも劇的であれ、プロパガンダに騙された国民がまた反復するのではないか疑問がないわけではないが私は歓迎したい。テレビの嫌な点を指摘したい。必要な時以外に同じ映像を繰り返すのはやめて欲しい。

夕方から、海峡裏町文化塾へ出た。一昨年の寒さで凍傷を受け死んだと思った近所のブーゲンビリアが満開しているので1カット、そこを過ぎ、亀山神社の階段を上り、定刻に1分遅れてついた。歩足が速いと言われた私の歩速が遅くなったと感じた。「江戸の医学と永富独嘯庵」という演題の講演に満席30人強であった。18世紀地元出身の医者の話、乳がんを治そうとした話を地元の人が熱心に傾聴する。地域が疲弊していると言われても健全である。

 

 


無言の交流

2018年06月12日 05時10分25秒 | 日記

 昨日夕方海岸に散策、大型観光バス3台、百数十人が横行する。台湾からの観光客のようである。犬連れのわが夫婦も観光対象になっているようであった。犬にほぼ視線がいかないのは、日本人と異なる。日清講和条約の記念館が主な観光ポイントである。台湾が清国から独立するという、植民地の始まりの地点である条約が台湾人に関心があるということは以前から知っていた。韓国人は無関心、嫌なところであるのとは対照的である。観光にも親日と反日が表れる。彼らは犬より下駄をはいた私に視線を注いだ。私は彼らを観察した。無言の交流。公園ではデイゴの花が咲き始まった(写真)。


ミス・アメリカ

2018年06月11日 05時16分14秒 | エッセイ

 生まれた自然体の形、身体はそのまま自身であり、そのまま生きるのが運命である。しかしメディアによる映像生活が一般化されて、美女、イケメンなどが日常的に流行している。その肉体美を世界的に主導してきているのが美人コンテストである。その代表的な「ミス・アメリカ」の運営団体が水着審査を取りやめ、今後は身体的な美しさを判断基準にしないと発表した。歓迎する。人種改良的に美容整形が多く行われている韓国に大きいなメッセージである。この宣言は身体美より個性美へと、価値観革命の宣言といえる。


拉致問題

2018年06月10日 05時23分14秒 | エッセイ

 米朝会談に日本はトランプ大統領に拉致問題も話してもらおうとている。拉致問題の「解決」とは何か?日本は「拉致問題の解決なくして国交正常化はあり得ない」を繰り返す。しかし進展はない。日朝トップ会談、そして国交正常化をしたらより早く拉致問題の解決につながるのではないのか。金正日氏が拉致を認め、蓮池夫婦らの一時帰国予定を強制的に永住帰国にさせたのは日本である、曽我氏の夫のジェンキンス氏に日本居住を認めた北朝鮮はそれなりに努力もしたと思われる。「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」という方が理解し難い。アメリカは朝鮮戦争で北朝鮮と闘って多くの犠牲者を出して民主主義を守った国である。日米の国格の差が浮かぶ。


鳳仙花

2018年06月09日 05時24分46秒 | 講義

 梅、桜、藤、あじさい・・・花が咲く。今は静かに咲く紫陽花、蓮の花(ベトナムの国花)を鑑賞する時である。日本的な宴会風の賑やかな花見は世界的には稀である。桜の花見で花見は終わったような雰囲気もそうである。花を日常生活でもよく鑑賞するのも日本的である。昨日の日本文化論では日本の「花文化」を話題にした。桜の花見の文化は日本以外には中国の大連、韓国にもある。意外にも広く愛される花は鳳仙花である。鳳仙花は朝鮮民族の花だと思ったが日本、韓国、中国、ベトナム、ネパールにも爪を赤く染める習慣と共に広くある。花束を交換するような文化は世界中広く行われるが、日常の中に花を飾る空間(床の間)を持つ日本の花文化は稀である。それを韓国の花学会で講演した時のある老女の失礼な反日的な暴言は忘れられない。


日本人は好戦的である

2018年06月08日 05時12分09秒 | エッセイ

 多くのアジア人から日本がなぜ激しい戦争をしたのか。日清戦争、日露戦争、太平洋戦争を行ったとは思えない。現在の日本人はよわよわしく優しく親切なのに。私もそう思う一人である。しかし最近のメディアなど日本の世論、ポピュリズムを見て「好戦性」を首肯するようになった。昨日帰宅時送ってくださった方は今の言論、特に新聞は戦前の「戦争賛美」と同様だと言った。驚いた。日本人が戦争好きであるということばに。セクハラ、反則、不倫などには非難のレベルをはるかに超えて「好戦的世論」といえる。今の日本のメディアは危険水準であると警告したい。


八文字歩き

2018年06月07日 05時24分52秒 | 日記

 立って講義をしてから図書館で学長夫人らの女性と対座してから気が付いた。出勤時には異常がなかったのに私のズボンのがやぶれてしてチラチラ露出している状況であった。それほど古くないズボンの異常であった。最高の恥を感じた。大手術の時ICUで若い看護師には露出状態でも恥を感じなかったが、恥と感ずることは健康だと言うことであろう。帰宅の寄り道、家内とショッピングとの時は花魁の八文字歩きか、ミスユニバースの脚線美X型歩きのようにした。家内は笑いながら少し離れて買い物をしていた。ズボンの縫い方とメーカーを調べた。中国製であった。


「忖度」(알아서)

2018年06月06日 05時24分28秒 | エッセイ

 この数日は特にコンピューターから離れられない。6月朝鮮戦争記念日頃に出る次作のために出版社の編集者とのやりとりをするためである。250余ページの本の原稿や写真などの校正紙がネット上受信、送信しながら作業を進める。このように仕事の超スピード感が好きな私を知っていただいて(?)嬉しい。ネットでも理解と信頼があれば仕事が効果的に上手くいける。これは命令や指示によるというより、自ら判断して仕事をする姿勢である。「忖度」という日本語を初めて知った。韓国語ではアラソ(알아서)「自ら判断して行うこと」という意味である。上司に部下が忖度するのは良い、今日本では悪いように使われている。日本語、日本的思考の理解は難い。あまりにも浅い枝葉的な問題に没頭し、大局的に外れているからである。


慰安婦博士

2018年06月05日 06時11分01秒 | 講義

 トランプ大統領にハーグした慰安婦のイ・ヨンスさん(89)氏が課程を修了し大邱大学から名誉哲学博士学位が授与された。それ自体にはコメントしようもないが、学長が「まだ続いている日帝下の独立運動をしている」と話したという。意外な、そして常識外れと感ずる。韓国の慰安婦、日本の拉致問題は「対」として受け止められる。二つは人権問題、犠牲者がいるという共通点がある。トランプ大統領は核問題の解決に取り掛かっている、それに日本は「拉致」でブレキーを掛けている。日本は「敵対」を続けたいのであろうか。 


模様替え

2018年06月04日 05時36分48秒 | 日記

 家は単に休む所、ひきこもる所ではない。私にとって家は楽しい作業の場である。数日間部屋に閉じこもるようになることが多い。それは引きこもりのような消極的なことではない。より積極的な「杜門不出」ということである。つまり外の社会からひっこむようなことではなく、むしろ世界とつながる作業のためのより積極的なSNSと繋がる場である。私にとっては家が作業室と同時に文化空間である。昨日も作業の合間に模様替えをし、花を飾ってみた。私の趣味のような模様替えの意欲はまだまだある。


読者たちからのコメント葉書

2018年06月03日 04時54分45秒 | 研究業績

  近刊発行の校正、家内が楽しく読了したというので、まず読まれるということで一安心。これから私の校正が正念場である。私の朝鮮戦争の生体験を記した内容である。自ら読んでも新鮮さを感ずる。記憶と記録の相互作業である。本の題に腐心している。出版社から校正紙と読者たちからのコメント葉書が十数枚とコピー資料が届いて読んだ。ほぼ強制連行と性奴隷に批判的な意見、中には著者が日本文化、植民地を誤解しているのではないかとも。ここに拙著『慰安婦の真実』の発行から半年強過ぎ、SNSでも多くのコメントが上がっている。中でもamazonに評価の低いsatophone氏のコメントにhatsukanezumi氏が返答した、質疑を紹介する。

_前借金契約については当時も内外で問題視されたことは事実でしょうが、どれだけの朝鮮人慰安婦がその前借金によって労働させられていたのですか?あるいは個人の意思でなく契約をしたのですか?「他もやってたから日本だっていいじゃないか!」などということはありませんが、まるで"日本だけの異常"かのように言うのは誤りでしょう。

従軍慰安婦が強制連行された性奴隷であるということを何ら論証できていませんからね。

長々と無駄なコピペをしていますが、朝鮮人慰安婦にの一部にそういうケースもあったかもしれない、というだけですね。どれだけの人が前借金によって契約したのかもわからないし前借金と一口に言っても内容は様々でしょう。実際、慰安婦(特に朝鮮人)の実態はなかなかわからないわけで、その中でこの朴氏の日記は朝鮮人慰安婦がどのようなものであったのかを知る貴重な資料。そしてその中で朝鮮人慰安婦はとても性奴隷と呼べるものではなく、比較的いい生活をできていたということをわかる。もはや「慰安婦は強制連行された性奴隷で無ければ"ならない"」という"前提"に縛られているあなたは認めたくないでしょうが。

あなた個人の定義による性奴隷があなたの中にいたというだけで。

現代的観点から見れば不自由だったから、あるいは本人の同意が本当にあったのか不確かだから、というのであれば有史以来のほぼ全ての売春婦が性奴隷となるのではないですか。昔の欧米の売春婦はみんな完全に自由な身分で、完全に自分の意思で売春を行っていたのでしょうか。昔の欧米の売春婦はみんな完全に自由な身分で、完全に自分の意思で売春を行っていたのでしょうか。「みんな」ってそんなだいそれたこと、私に分かるわきゃありません。少なくとも、前借金で縛って拘束して、逃げだしたら警察が追ってきたって話は聞いたことありませんがね。

長々と無駄なことを書いていますが、逆に言えばそのことが結局日本軍が朝鮮人慰安婦を強制連行や性奴隷したという証拠は無いということですね。あなた個人の定義による性奴隷があなたの中にいたというだけで。現代的観点から見れば不自由だったから、あるいは本人の同意が本当にあったのか不確かだから、というのであれば有史以来のほぼ全ての売春婦が性奴隷となるのではないですか。昔の欧米の売春婦はみんな完全に自由な身分で、完全に自分の意思で売春を行っていたのでしょうか。

「一部の朝鮮人慰安婦に業者に騙された人がいる」というだけですね。この日記からもわかるように軍による朝鮮人慰安婦強制連行なんぞもなかったし、慰安婦と呼ばれる方々は性奴隷ではなく職業的売春婦であった。もちろん好きで売春婦になった人はいないだろうし、そのような職業になってしまったことには同情します。しかし慰安婦を性奴隷と呼ぶのであれば、現代の売春婦や性的サービスを職業とする人々全てを性奴隷と呼ぶほかない。