崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

出版社からのコメント

2018年06月19日 06時23分58秒 | エッセイ

商品の説明

内容紹介

前著『朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実』が「第五回 国基研 日本研究特別賞」を受賞!
本書は、受賞後の第一弾

韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか。
その一部始終を見ていた少年がいた。
のちに学者となる彼の原点となった、
貧困と性暴力が交錯する朝鮮半島の現実とは―

慰安婦問題をことさらに騒ぎ立てることは
いつか韓国人に戻ってくるブーメランのようなものである。
韓国メディアから「親日派」と猛バッシングを受けた著者による
体験をもとにした赤裸々な告白。

本書で私は、朝鮮戦争の体験を語り、
『韓国の貞操ナショナリズム』の本質に迫り、それを警告したかった。 ―崔 吉城

韓国の建国精神として柱となる二つのイデオロギーは、反共と反日である。
政府は北朝鮮の挑発を理由に、愛国心による総和団結を呼びかけた。
それによって韓国の国民は、「反共」意識を強く持つようになった。
日本に対する従軍慰安婦問題が、全ての韓国人の貞操が日本人によって犯されたかのような
強い「反日」感情と結びつくのも、そうした流れの一つであろう。
つまり、貞操をナショナル・アイデンティティ(国民意識)の形成に利用したのである。(本文より)

今、韓国政府は慰安婦問題を、政治的・外交的カードとして頻繁に使っているが、これは決して良いこととは言えない。
こうした戦後の問題は他国だけの現象ではなく、歴史的に古くさかのぼる、韓国自身の問題だからである。(本文より)




本書は、平成二六年に当社から刊行された
『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』を
再構成の上、増補改訂したものです。

出版社からのコメント

「はじめに」より抜粋

今、日本と韓国とのあいだで、戦争中の性犯罪が問題とされている。
いわゆる「従軍慰安婦」をめぐる問題である。
そこでは、「強制連行」や「性奴隷」といった言葉が飛びかうが、この問題に関しては、
慰安婦をどのように「強制」したのか、その強制性に絞って議論すべきであろう。
つまり、強姦、人身売買、拉致、といったことが、慰安婦問題の核心なのである。
以下は、こうした慰安婦問題の動きを、年表にしたものである。

1982年9月 朝日新聞が吉田清治氏の講演を掲載
1983年7月 吉田清治著『私の戦争犯罪』(三一書房)出版
1990年11月 「挺対協」設立
1991年8月 朝日新聞の植村隆記者が「元慰安婦」の証言を公表
1992年1月 宮沢喜一首相が廬泰愚大統領に八回謝罪
1993年8月 河野洋平官房長官が「河野談話」を発表
1995年7月 日本政府が「女性のためのアジア平和国民基金」を設立
1996年6月 国連人権委員会で「慰安婦」の数を二〇万人とした「クマラスワミ報告」
1997年1月 金泳三大統領「アジア女性基金」に遺憾
2002年5月 「アジア女性基金」韓国国内での活動終了
2005年3月 廬武鉉大統領、三・一節の演説で「慰安婦問題」に言及
2007年3月 「アジア女性基金」解散
2011年8月 韓国憲法裁判所の判決「元慰安婦へ補償を」
2011年12月 「挺対協」が日本大使館前に慰安婦像を設置
2014年6月 日本政府が「河野談話作成過程」の検証結果を公表
2014年8月 朝日新聞が吉田清治氏に関する記事を取り消し

この年表を大学の講義で学生たちに見せたところ、韓国からの留学生たちが一斉に声を上げた。
彼らは、宮沢首相が廬泰愚大統領に八回も「謝罪」したことも、
河野官房長官が韓国に迷惑をかけたことを深くお詫びすると「謝罪」したことも、
全く知らなかったという。
だとすれば、日本国の総理大臣による八回もの謝罪は、いったい何だったのだろう。
慰安婦問題で韓国は、日本に謝罪を求め続けたいという気持ちが常にある。
これは、韓国政府やメディアにバイアス(偏り・傾向)があるということを意味する。
米国のトランプ大統領は、「フェイクニュース」と言い切って、
直接ツイッターなどで投稿するが、私には、その気持ちが十分に理解できる。

私は、一〇歳のころに朝鮮戦争の悲惨な状況を体験した。
そこでは国連軍兵士による性暴行があり、それを防ぐために売春婦たちが村にやってきた。
彼女たちは、いわば「韓国の米軍慰安婦」である。
私は、こうしたことについて深く考え、読者に向けて語りたいと思っている。

商品の説明をすべて表示する

登録情報

  • 単行本(ソフトカバー): 256ページ
  • 出版社: ハート出版 (2018/6/28)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4802400608
  • ISBN-13: 978-4802400602
  • 発売日: 2018/6/28

悲しい我が故郷

2018年06月19日 05時19分35秒 | エッセイ

 ただの話、物語り、対話、フリートーキングが長かった。姉と朝鮮戦争を語り合った。戦争の悲惨さ、生き残っただけ幸運であったと。当時のことは悲惨すぎ、恥ずかし過ぎの話のもあった。ただ戦争であって、生き残るため必死であった。売春婦なども倫理ではなく生きるためだった。生き残った慰安婦がそれを訴えるのは異様だと姉も言う。私は現在の村の状況には無知であり、その後の変化を伺った。世代が変わり親族関係は完全に壊れた。門中の共有山を管理すべき門中の代表の「宗孫」が私有化していたので争ったことがあった。彼は我が両親の墓、親族の墓を強制移転させようとしたことが禍になって苦しい生活をしていると聞いた。墓を動かし、「祟る」という「迷信」が「正信」となった。しかし今村人は土地を売り、貸すことにより成金で豊かになった。我が田んぼを買った隣家はそれを未だに稲作を続けているという。すこと何だか悲しい我が故郷である。

下記は数日前の東洋経済日報への連載のエッセーである。

                      食文化の日韓比較

崔吉城
 
ある日本人の同僚に「日本には料理がない」と冗談を言って怒られたことがある。料理とはクックcookつまり熱を通すこと、生で食べるのは料理ではないと皮肉に言った。生で食べる日本食に抵抗がある外人は多い。しかし彼曰く、日本料理は野菜や魚介類を生で食べるのが一番の贅沢、栄養の上味、それより美しいという美覚があると主張する。
私だけではなく多くの留学生たちは日本食におおよそ二つ抵抗があるという。一つは生食、もう一つは粘り気である。刺身や生卵など野菜はもとより魚まで生で食べる。生玉子を麺類にかけて食べる月見うどん、卵かけご飯には驚く欧米人が多い。世界的には卵を生で食べる人は少ない。味はどうか、衛生的なのかなど「生」には不信感がある。水道水さえ飲めない国が多くある。ベトナムでは生食習慣はない。生モノを食べたらお腹を壊すという。
ある中国人の女子留学生は日本人は味を知らないのか、さもなければ嘘をついていると発言したことがある。日本人は料理を見た目や雰囲気で、さほど美味しくなくても「美味しい」と、嘘を言うように感ずると。テレビでは味を確かめることができないので、なんでも美味しいというのではないのか。料理を見た目だけで評価する番組、あれはどうなんだろうか。
 留学生たちがよく話題にするのが納豆である。匂いより粘り気に抵抗感があるという。とろろ昆布、オクラ、里芋など粘り気のある食品が好まれる日本。餅と納豆の粘り気、日本では「粘り強く」ということばも頻繁に使われている。関連性があるか否かは確かではないが、たしかに日本食は粘り気が強い。私もそれには抵抗がある。
家内は日本人だが彼女の嗜好を私が制約しているかもしれない。その分、私自らは絶対食べない納豆、ミョウガ、オクラ、サトイモ、刺身などを口にすることがある。しかし私の味覚は根本的に変わることはない。私はスーパーマーケットを数回廻っても油類、塩味、乳製品、アルコール類などのコーナーを通り過ぎレジで籠を覗くと野菜と果物しかない。ごはんと韓国の味噌チゲ鍋の韓国食に留まってしまう。50年以上オーストラリアに住んでいる友人も韓国式の食生活に固執するという。
外食文化は多様であっても家庭の食卓に影響されるまではどのくらい期間がかかるか分からない。日本の食卓には焼き肉やキムチ、天ぷら、カレー、パスタ、牛乳などがあがっている。洋食が多い。その日本人の食生活には理由がありそうである。味にこだわりがあまり無く、自然の味、見た目で味わうような、悪く言うと美味しさには鈍感だと言える。
味は電波ではないのでテレビに投影することはできない。日本で料理番組が多いのは味を味わうのではなく、「見る」味感からではないだろうか。それに比べると韓国人は生理的に美味しさ、「器より味」という「味」にこだわりが強い。そんな韓国料理が世界に人気がある。視覚と味覚の日韓の差がある。