海辺に住み始めてから船の汽笛が騒音として気になるようになった。以前は船の汽笛が遠い異国への旅心を誘うものであったが、最近早朝の汽笛は騒音と感ずるようになった。数日前関門海峡の付近で汽笛が5,6回もなった。煩くて船を肉眼で確認した。日本のひびき丸という船であった。視野の悪いときの汽笛は2分以内一回という決まりがあるようであるが、乱発である。
蒸気機関車の汽笛はしゅっしゅっぽっぽっという音で歌われる。音風景として録音している人もいる。しかし鉄道付近の住宅はその騒音で安くなり、辛い暮らしになる。現在蒸気機関車はほぼなくなっており、懐かしく思っている人も多い。音や音楽は音の美しさによる芸術である。それが過剰であれば騒音に過ぎない。今私には若者の音楽はうるさいと感じるものが多い。居酒屋は騒音が好きな人が集まる場のようにも感じている。人はあまりも静的状態では不安を感ずる。ある程度の騒音は必要である。しかし今はそれを超えている状況である。
蒸気機関車の汽笛はしゅっしゅっぽっぽっという音で歌われる。音風景として録音している人もいる。しかし鉄道付近の住宅はその騒音で安くなり、辛い暮らしになる。現在蒸気機関車はほぼなくなっており、懐かしく思っている人も多い。音や音楽は音の美しさによる芸術である。それが過剰であれば騒音に過ぎない。今私には若者の音楽はうるさいと感じるものが多い。居酒屋は騒音が好きな人が集まる場のようにも感じている。人はあまりも静的状態では不安を感ずる。ある程度の騒音は必要である。しかし今はそれを超えている状況である。