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先日上野弘子と三尾裕子編『台湾における植民地経験』をいただき、まだお礼の返信を送っていない。共同研究会を韓国と台湾で行ない、筆者たちになじみがあり、研究会で聞いた内容にも触れられているので精読してからお返事をしようと思ったからである。まだ数篇の論文が読み終わっていないが全体が把握できた気がする。私はいつから日本植民地研究が自由に盛んに行われるようになったか、日本植民地歴史の何が今の台湾に残っているか、日本植民地の全体の枠の中で比較という視野から関心を持って読んでいる。日本人は台湾で「日本」に出会う(上野)、日本人と似て非なる(三尾)は朝鮮半島にそのまま言えることではないが、比較のものさしを提供している。詳しい読後感は後にしてここに読者に紹介したい。
戦後反日思想、植民地残滓の清算などの政策によって韓国は植民地から脱皮したかのようになったばかりか、国際化という潮流に乗って日韓文化は似ていった。植民地に日本人と接した世代が消える前に日本人との交流が盛んな時代になった。いまは植民地歴史を超えているようである。しかし歴史と現在の生活には日本文化が混合している。韓国では抗日独立運動史的な研究はあっても植民地研究はタブーであった時代が壊れたばかりでグローバル化した気がする。茶髪の日韓の共通、否、世界的なファッションをみながら不の遺産が消えるか、あるいは多く文化財化していくこともありうると思う。民族文化とは何か。人間は民族を超えることはできても、文化を超える、捨てることはできない。
戦後反日思想、植民地残滓の清算などの政策によって韓国は植民地から脱皮したかのようになったばかりか、国際化という潮流に乗って日韓文化は似ていった。植民地に日本人と接した世代が消える前に日本人との交流が盛んな時代になった。いまは植民地歴史を超えているようである。しかし歴史と現在の生活には日本文化が混合している。韓国では抗日独立運動史的な研究はあっても植民地研究はタブーであった時代が壊れたばかりでグローバル化した気がする。茶髪の日韓の共通、否、世界的なファッションをみながら不の遺産が消えるか、あるいは多く文化財化していくこともありうると思う。民族文化とは何か。人間は民族を超えることはできても、文化を超える、捨てることはできない。
歴史はどうしても国家間で記述の違いが起きており「解決」という方向にはなかなか向かわないのが現状です。
私自身、台湾に3月に行ってきましたが、苗栗市であるおじいいさんに出会いました。その方は、台湾が日本の統治下に置かれていたときに日本の軍需向上に労働に来ていたと聞きました。日本語は堪能で日本統治下の台湾の様子や戦後の日本国内の状況について聞くことができました。
「戦後生まれ」の私たちにはアジア太平洋戦争の事は書物や先ほどのおじいいさんのように話で聞くことしかできません。しかし、証言者の方から聞いたことは未来の世代に伝え、残す義務が私たちにはあるのではないでしょうか。
本山大智