崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

無教会主義

2016年02月29日 05時16分25秒 | 旅行
昨日の礼拝で隣席に新しい人がいた。後に紹介されるのを聞いて古い元信者であることを知った。今は韓国釜山に住んでおられ、そこの永楽教会の信徒であるとのことである。その教会では日曜日は数回礼拝、水曜日、金曜日にも礼拝をしないと間に合わないほど信者が溢れているとのこと。彼女は私に「子供たちをつれて来て」と言われた。教会の信者数が少なく、元信者として若者がおらず、教会が廃れているので涙が出たという。それについて後に話題になってその理由に迫る議論があった。牧師の「来る人拒まず、去る人追わず」という自然に任せている無宣教方針が原因であろうという人もいて、少子高齢化の当然の現象とも思われる話が続いた。経済的にも牧会者を持てない状況となっている。内村鑑三は牧師のいない無教会主義者であった。そのような主義者ではなく、キリスト教の世俗化によってそれこそ自然な現象となっている。私は365ページある校正紙を気にし、早く帰りたいが話の重要さに任せ帰宅が遅くなった。
 アメリカもキリスト教は世俗化された国であるという。しかし選挙の時クリスチャンの多い地域が話題になっている。民主党のヒラリークリントン氏がクリスチャンの支持を得て圧倒的に勝利したというニュースが流れた。教会は信者を保つだけが力ではないことが分かった。子供時代や青年時代にクリスチャンであった人が礼拝に来ないこと、教会を離れて行った人も多くいる。それは必ずしも信仰を裏切っているとは言えない。学校を卒業しても消えない意識の繋がりのようなものに似ている。人類愛ということばを脳にインプットされた人が多くなればそれでもクリスチャン社会である。それらの人々によって民主主義がすすむと平和になれると信ずる。

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