崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

山口大学主催「時間」シンポ原稿

2009年08月27日 05時44分45秒 | エッセイ
11月21日山口大学主催「時間」の国際シンポジウムでの発表原稿を送った。無色実臭の自然な時間をどのように認識するかは文化であり、個性であろう。近代化以前の村中心社会では時間観念は曖昧であった。韓国語ではテェ(때), サイ(사이),トム( 틈)などの曖昧な言葉がある。日本でも「しばらく」という曖昧な言葉がある。「今月中旬に行く」とかの約束が現在の都市中心社会生活においては「時計塔の下で12時15分に会いましょう」と細分されている。時計が結婚祝いのお返しであったり、学校などへ寄贈品の一番であったりした。
 「日本人は時間をよく守る」という評判があるが、学生の中には遅れる人は韓国より多い。またその理由が朝寝坊というのだ。しかし公の会議などは厳格に始まる。しかし終わりは決まっていないかの様に続く。質問などによって伸び伸び何時間も続くことが多い。会う時にだけ挨拶をして、別れの挨拶のない動物に似ているように感じる時もある。日本人も近代的な時間観念はない。
 人それぞれ大きく失敗した経験を持っているだろう。私は若い時重要な会で報告する予定であった会議に遅れて報告ができなかった恥を忘れられない。当時私は前近代的なコレアンタイムを持っていたようである。東南アジアに広く「ゴムの時間」という言葉がある。ベトナム語で gio day thunをはじめインドネシアにもゴムの時間がある。今は時間を守ることも国際化されている。今日私は日本時間より7時間も遅い南アフリカへ発つ。前へ歳をとりながら7時間分後ろへ後退する。浦島太郎になってくる。選挙結果が気になる。
 

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