崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「帝国の慰安婦再読」

2015年07月28日 05時18分02秒 | 旅行
 一昨日の本欄で朴裕河氏の慰安婦問題の講演に地域のメディアが冷淡であると書いた。それについて読者たちから多くの書き込みやメールなどで反応があった。ある人は報道判断があったのか、それは本社の方針ではないかなどの意見もあった。しかし昨日の毎日新聞の全国版には「帝国の慰安婦再読」の掲載文が出た。本社と支局の距離は遠いようである。地域社会へ奉仕のためにと講演会を公開してもある人は宣伝のため、あるいは本を販売するためではないかと言う人もいる。今度は朴氏の本を買ってサインしてもらおうとした人が多かった。しかし私は不親切と思われるかも知れないが本の販売などはしなかった。度々市民に公開する行事を行っているが後味が悪い時もある。今度は主に本欄のFB友と友人・知人とメディアだけに知らせであったが多くの方々が来られ、嬉しかった。聴衆の数や幅広い年齢層の参加者、質問などの様子をみて市民の関心や意識のレベルを知る。
 反日・親日のコリアンバッシングの多くはおそらくきちんと読まず理解せず知っていると思い込んでいる群れによる「誤解」が原因ではないか思う。川島氏の「요코이야기」(「竹林はるか遠く」)朴氏の「제국의 위안부(帝国の慰安婦)」などがそうであろう。誰しも誤解されることがあり、その気持ちは普遍的であろう。誤解される人より誤解する人の声が大きく積極的であることも事実であろう。私の体験では善意をもって奉仕するつもりのものが誤解されることが多い。時々期待して人を推薦して失望することも多い。それは誤解のレベルをはるか超えて「裏切られた」という気持ちになる。人間関係はここから崩れる。人間関係を悪くしない秘訣がある。それは自分自身が思いやりで、親切に、やさしく、善意とか奉仕などの心を持たないこと、人に期待しないことであろう。まったく情のないドライな関係、面白くない社会への道へ、。いやいやこれは不味い。心配だな。(写真は鵜沢副学長のご挨拶)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿