崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「被害イコール平和」

2015年08月07日 03時43分36秒 | 旅行
今日は広島へ。広島大学大学院で「植民地文化論」の集中講義が9時から始まる。終戦70がメディアを塗りつぶしているような今年、それも8月、その最高潮の昨日8月6日原爆投降地であった広島、そこで植民地を論ずる講義である。定年して10年、それでも講義を続けさせていただいている。大学院関係者の方々に感謝している。
 世界には多くの戦争の被災地がある。そこでは平和が意識される。広島や長崎などは平和都市として平和宣言が繰り返される。私は多くの被災地などで被害や被災が誇張されるような展示を見てきた。被害から平和を求めることは当然であり、「戦争と平和」は対照的なものであるがそこでは「被害イコール平和」となっているのではないかと思う時がある。被害を以て平和の心を教えるのだろうか、考えなければならない。
 平和を誇張するための「終戦70周年」という標語が挑戦的な行事となっている現象が多い。平和のための歴史認識と言いだし、口論が対立して東アジアの関係を危機に追い込むようではいけない。「和解のために」喧嘩をするのは世間の茶飯事ではないだろうか。私は平和は被害からの反省ではなく、平和の心を養うことから始めなければならないと考える。まず帝国主義や国民国家のナショナリズム、愛国主義を排除して普遍的な人間、動物を愛する教育が必要である。ある程度矛盾するが、愛国心の本質を変えなければならない。戦争の多くは国家ネーションステートによるものである。オリンピックなど国家間競争も最小限にする政策が必要である。国家は行政governであり、支配ruleではない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿