崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「小動物」のような民衆

2011年12月21日 05時47分26秒 | エッセイ
私は2003年訪朝の時、平壌の錦繍山記念宮殿を訪ね、故金日成氏の遺体をみたことを思い出す。長いエスカレーターに立って靴の下の塵が払い取られ、空気吸引機による清掃、宗教的清めの電力化による独裁者崇拝の現場を体験した。そこに息子の金正日の遺体が並んで横になっている映像を見て、王国の誕生のように感ずる。皇族の子供に最敬愛の呼称をする社会からはそれほど違和感はないかもしれないが、私は28歳の金正恩を「尊敬する領導者」という呼称には強く抵抗を感ずる。韓国にある使いふるした箒が鬼になるという民間信仰のトケビの話のように異様な感じがする。トケビは夜に出るといわれているが「昼のトケビ」のような昔話が、今北朝鮮で実話になっているような感じである。独裁者から見る民衆は餌を撒いたら集まる「小動物」のようなものであろうか。メディアによって熱狂する民衆を見てナットケビ(낮도깨비昼トケビ)の話を思い出す。