崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

立ちとめられて

2011年10月23日 06時19分17秒 | エッセイ
 韓国からきた50余人の学生、先生たちと昼食とり、春帆楼(日清講和条約ところ)などを案内して歩いて帰宅するところであった。タクシーがよこに止まった。運転さんが降りて近づいてきた。道を聞かれるかと思ったら、意外に私のブログの愛読者であり、素晴らしいと感想を述べた。私が一度そのタクシーを利用したことから覚えていてくれて、韓国語も勉強しているという。嬉しいことであった。
 夜は暴風と雨の中、日和山の公園にある勤労教育館に向かった。韓国から6人の牧師たちを迎え、日本の牧師、修女たち、そして市議員など40人ほどの平和運動者会に参加した。着いたのは予定時間より30分も早く、下関西教会の鈴木牧師夫妻に会い、一緒に名札を書くなど準備のお手伝いをしたりした。懐かしい顔が次々集まった。友人の鍬野保雄氏の人脈の方が多かった。韓国語ができる人も多く、私は「下関は大陸との接点として、海と空の境界を無くして、一つになろう」という乾杯の音頭をとった。同時通訳がそのテーブル毎に行われ煩しい感じはしたが、演説のようにそのまま続けた。日韓の集まりでは賑やかなこと自体が活気と感じられるのである。(写真は左は鍬野、右が金の両代表)