崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

友人の「跋」に私が

2007年02月08日 08時11分13秒 | エッセイ
 昔中部大学の同僚であった友人である関西外国語大学教授の井上紘一氏から彼の訳書である『朝鮮旅行記』(平凡社東洋文庫)復刻版が送られてきた。そこに彼の跋が書かれてあり、ほぼ半分の一ページが私のことを書いてある。私は友情を感じしている。紹介する・

 そこへ救世主のごとく、韓国の崔吉城教授が訳者の奉職する大学に転任して来られたのである。私は一も二もなく教授に救援を求めた。崔教授は古地図など、お手持ちの資料を締いて精査して下さり、教授からは漢字変換のみならず、訳者が抱えるあらゆる疑問についても懇切丁寧な教示を賜わった。本書は、崔教授の御協力なしには完成しえなかったのである。とはいえ、全ての文責が偏に訳者に存することは、改めて申すまでもない。
 崔吉城教授は、朝鮮シャマニズム研究の第一人者として知られる文化人類学者であり、大邱の啓明大学在職中は、韓国で唯一の日本学科を主宰して多くの後進を育成された日本学者でもあるが、一九九一年の春以降は中部大学国際関係学部で教鞭を執っておられる。そこで崔教授には、韓国人の立場から、日露両国に対する厳しい批判を龍めて解説を執筆していただくこともお願いした。出来上がった「解説」を読むと、舌鋒は予期したほどには鋭くないものの、お願いにはさり気ない筆致で応えて下さったことが分かる。教授の〈心やさしさ〉の為せる業であろう。崔教授には、この場を借りて厚くお礼を申し上げたい。
 最後に、一日本人として読後感を記しておきたい。崔教授の「解説」に、本書が「近代目朝関係の草創期について伝えるドキ予メソトとしても、日韓両国において注目さるべき資料」とあるが、全く同感である。とりわけ日本においては、最近の〈従軍慰安婦〉問題に象徴されるように、日本植民地時代の歴史すら直視を避けてきた嫌いがある。いわんや、植民地以前においておやである。本書は、その植民地以前の日本人の行状をつぶさに記録しており、われわれにとっては決して読みやすい書ではない。特に印象に残ったのは、カルネイェフが伝える間配暗殺の現場報告である。これは恐らく、現場に居合わせて一部始終・・・。