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一日一句(5305)







暗殺の弾丸夏の耳掠め






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一日一句(5304)






白木槿雨に打たれてなほしづか






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往還日誌(180)







■7月16日、火曜日、雨。ときに、大雨。

朝から、詩を一篇書く。その後、ニコの仕事に入り、14時まで行い、その後、六本木へ移動して、ジャーナリズムの仕事を行う。普段は終電で帰宅になるが、きょうは、睡眠不足で体調が良くなく、早く帰宅。

きょうは、仕事でタクシーを利用したが、行きと帰りの運転手さんのキャラがまったく違うので興味深いものがあった。

日曜日に、急いでいて、駅の階段を駆け上がって、デジカメを落としてしまい、レンズが壊れてしまった。早急に買い換えないといけない。デジカメは、外出のときは、ベルトに装着して持ち歩いていて、ほぼ一心同体の状態、もう15年くらいカメラと一緒にいる。

土曜日、瞑想を40分やってみた。丸めずに、なるべく、細かく精緻にセンセーションの変化を感じることに集中して40分。

なにが起きたか? 眼が冴えて眠れなくなった。

これには、驚いた。

瞑想は、今後、生活の中心になってゆく予感がある。





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一日一句(5303)







小気味よく大便によこり真夏かな






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一日一句(5302)







世の中の無常ふるへる冷奴






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往還日誌(179)






■7月14日、パリ祭、雨。

家族が週末居ないかったので、植物の水遣りや掃除、風呂洗い、食事の用意など。

午前中、涼しい風が吹いていたが、午後から雨で蒸し暑くなってきた。

午後から、上野の森美術館へ、石川九楊展へ。この展覧会は、一期が「古典篇」、二期が「状況篇」と分かれている。

両方行くつもりでペアチケットを買ったが、多忙で、「古典篇」は行けず、今日、ようやく、「状況篇」を観ることができた。

印象的だったのは、9.11や3.11をテーマにした書――もはや書ではなくカンディンスキーやクレーの絵画を見るような感じだった――や、吉増剛造や田村隆一の現代詩、親鸞の歎異抄などの書だった。

河東碧梧桐の俳句109句に書をつけたシリーズもあったが、この書は、グラフィック・デザインに近く、あまり印象に残らなかった。

逆に、碧梧桐の句が強く印象に残り、碧梧桐を再発見したような気分となった。

上野までの車中は、『数学セミナー』6月号の微分特集を読む。一回目を読んだときには、まったく、基本事項を忘れていて、基本書を読んでから、再度、この雑誌を読んだ。以前より、頭に入った。

帰宅後、ただちに、夕食を作る。

夜は、きのうのルソー読書会のまとめとニコの仕事を行う予定。

私が現在、思索している『社会操作論』の中核に、ルソーの『社会契約論』と『エミール』が入ってくることがほぼ見えてきた。

7月下旬から、某雑誌において、『社会操作論』の連載を行う予定なので、気合が入っている。



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一日一句(5301)







干からびてかつて蚯蚓でありしもの






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一日一句(5300)







日の炙る森閑として蟻の黒






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一日一句(5299)







大梅雨の茫々として水の聲






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一日一句(5298)





葉のうへは日月の翳蓮の花






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