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一日一句(5312)







なにもなき一条通の暑さかな






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往還日誌(183)






■7月24日、水曜日、河童忌。

朝から黒雲が空にかかって、午後から、激しい雷雨に。そのまま、断続的に降ったりやんだりを繰り返し、最後は、夕立のようになった。

朝から、人間ドックを受診。京都で初めて受診した。ここから歩いて行ける距離の愛寿会同仁病院。受診の人数が、上尾中央病院などと比較するとごく少ないので――一緒に受診したのはたった3人で、最後は、私一人になった――、その分、よく診てもらえた。

同仁病院は、案内してくれた事務の方も、検査技師の方も、検査医師の方も、女性で、みなさん、丁寧で優しく真面目であった。

胃カメラは、まったく問題がなく、内科の診察でも問題はなかった。種々の検査結果は、2週間後に郵送されてくる。

今回は、骨密度を、最新の機器で測定するオプションをつけた。

これらの検査結果を踏まえて、運動と食事のあり方を調整する。

検査中は、待ち時間が断片的にあった。

検査着に着替え、本はロッカーに入れてきたので、すべて、「座る瞑想」を行った。

帰りは、御所のカフェ「笹屋伊織」で一休み。

外で桔梗が風に揺れているのが、ガラス越しに席からよく見えた。

その後は、終日、仕事。胃カメラなど、検査の後の仕事は少々きつかった。




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一日一句(5311)







どの道も命かかはる日傘かな






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一日一句(5310)







幾たびの京の炎上百日紅







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一日一句(5309)







ひまはりの笑ひのごとき女人あり






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往還日誌(182)






■7月21日、日曜日、6時起床。

4時間半睡眠だったが、呼吸法を自覚的に繰り返したことで、大きな失敗もせず、一日、もった。

睡眠不足は、何をしてもだめで、寝るしかないと思ってきたが、呼吸法だけは、脳に送る酸素量を増やすため、一定の効果があるようだ。これは、デモに出た夜、大声を出して脳が興奮して眠れなくなった翌日も、これで、ある程度、もったことを思い出した。

朝、詩に手を入れる。

その後、J.J.Rousseau読書会。

モダンの代表的な思考形態が経済学だとすれば、ポストモダンのそれは社会学だろう。マルクスが経済学批判を行うことで、市民社会に関する新しい学問を構築したように、社会学批判は、後期大衆社会(高度消費社会、高度情報化社会)に関する新しい学問構築の可能性をもたらすだろう、というような議論。

大衆社会批判者としてのニーチェの意義など。古いところでは、キルケゴールも『現代の批判』で前期大衆社会批判を行っていると知った。この本は読んだ記憶はあるが、内容は忘れている。

昼食後、京都へ向かう。のぞみの中で、短時間、眠り込む。

いつもの時間に一定庵到着。荷解き後、ライオンキッチンへ。

買い物して帰宅。

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一日一句(5308)






ひまはりに疚しきところあるやなし






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往還日誌(181)





■7月20日、土曜日、曇りのち晴れ、夜は雷雨。朝から、異様に蒸し暑い。

外に出ると、大気全体が熱せられていて、顔が膨張するような気分になる。

朝、詩を一篇書く。だんだん、調子が出てきた。

昼食後、ニコの仕事を4時まで。

その後、公開講座『ルカーチの存在論』32周年第3講「ユダヤ人の歴史とは」に参加。

いろいろ、冷静な議論ができた。

これまでなら、かなり熱くなるようなトピックだったが、過激なことも言わず、罵倒もせず、淡々と、事実を積み上げて、冷静な議論ができたように思う。

私が強調したのは、ローマ帝国やバビロニア、キリスト教成立以降の西欧世界で、「歴史的被害存在」であったユダヤ人が、ナチスのホロコーストで、その「歴史的被害存在」の本質が頂点に達したが、戦後80年経過して社会的強者となり、ホロコーストの被害者の立場を「主観的」には、頑なに固執はしているものの、「客観的」には、ガザにおいて、ホロコーストの実践主体になっている、その転倒、つまり、「歴史的被害存在の弁証法」に敏感になるべきだ、ということだった。

一貫して、現在も、歴史の被害者であるというのは、「客観的」に見れば、米国とイスラエル以外には通用しない。そして、そこには、ノーマン・G・フィンケルスタインが指摘するような「ホロコースト産業」という利権が、西側資本主義社会における80年間のホロコーストの歴史化によって、構造化されてしまっている。

ここで指摘しておきたいのは、ユダヤ人に対するもっとも根源的で先鋭的な批判者は、このフィンケルスタインを始め、イラン・パペ、チョムスキー、サラ・ロイ、ギドン・レヴィなど、みなユダヤ人だった、ということである。

きょうの公開講座を振り返って、ふと気が付いたのは、瞑想をほぼ毎日行っており、その効果が、議論の冷静さに出たのではないか、ということだった。瞑想の効果はすぐにはわからないが、こういうところに出てくるものと思う。

秋のサイファイフォーラムFPSSにおいて、私が、「社会操作論」とともに、思索の力を入れている、時間空間理論である「TB-LB Theory」を、2.0版として深化して発表することになった。ここは、生命科学者など理科系の研究者で、しかも哲学に関心のある方が多いので、いろいろ、参考になる意見をいただける。

あすから第19回往還で、京都へ戻る。まだ、関西は梅雨が明けていない。




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一日一句(5307)







ひまはりは天を劈く笑ひなり






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一日一句(5306)







つゆ明やみどりの奥のふかみどり






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