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関西での対話(1) 虚子の戦中俳句(一)

水曜日、のち。旧暦、閏7月7日。

昨夜、関西から戻った。梅田、芦屋、三田とめぐって、新大阪より帰還。面白かった。三田で5年ぶりに会った友だちが、白髪になっていて驚いた。もう、そんな歳になったのか。

梅田、芦屋、三田と移動して、場所のインパクトが一番強かったのは、芦屋だった。これまでも何度か行っているが、この歳で再訪すると、いろいろ感じるところがある。芦屋は、すでに瀬戸内だということ。陽光が関東とはまったく違う。背後に六甲山系、前面に海。梅田から向かうと、空気がいいのがよくわかる。

この地域の天気の表現が面白い。関東人のぼくが、「晴れ」と認識する天気を、阪急六甲に住む友人は「曇り」と表現する。なぜだと聞くと、「雲があるやん」。確かに、空には、秋の雲が遠くたなびいている。午後になって、本格的に曇ってきた。「これなら、関東でも立派な曇りだ」と言うと、件の友人は「雨が降りそう」と表現する。この地域では、天気表現が一歩前倒しなのである。それだけ、陽光に恵まれているのだ。

天気に驚いたというのは、たぶん、違う。空気の清澄さと陽光の美しさが、金の力として(あるいは権力の力として)現象してくる事態に圧倒されたと言った方がいい。ここでは、空気も光も個人の財なのだ。芦屋は、有名な高級住宅街である。美術館かと見まごうような民家が、芦屋川に沿って並ぶ。住宅街の道には、車も通らず人もいない。閑静そのものである。近くの著名なフランスレストランの駐車場には、平日の午後から、高級外車が並んでいる。

こういう住宅街の真只中に「虚子記念文学館」はある。虚子は、こんなことを述べている。「能楽の主人公が舞を舞うことによって成仏するように、人には人生の苦しみから救われる舞のような何ものかが必要である」人生の苦しみ。虚子よ、おまえ、恥ずかしくないか、芦屋に鎮座して。この文学館では、おばさまたちが、平日の昼間から「お句会」を開いている。



まったく久しぶりに「のぞみ」に乗った。行き帰りには本を読もうと思ったのである。頻繁に乗っていたころには、気がつかなかったが、新幹線のスピードは異常である。これは、旅でもなんでもない。単なる物理的な移動である。速さには、タイム・イズ・マネーの思想が染み込んでいる。この社会では、マネー以外の価値は、もうほとんど機能していないのではないか。

行きに「虚子五句集」(岩波文庫)を読む。おもな事件の前後の句を調べてみた。

昭和11年(1936年)2月26日 2.26事件

1月2日 鴨の中の一つの鴨を見てゐたり

1月4日 枯れ果てしものの中なる藤袴

1月8日 枯荻に添ひて立てば我幽なり

4月19日 宝石の大塊のごと春の雲

6月11日 濁り鮒腹をかへして沈みけり

7月26日 航海やよるひるとなき雲の峰

9月6日 一夜明けて忽ち秋の扇かな

10月1日 我が息を吹きとゞめたる野分かな

10月19日 掛稲に山又山の飛騨路かな

11月21日 御神籤の凶が出でたる落葉降る

11月21日 人に恥ぢ神には恥ぢず初詣

■全体に時代との関わりは直接見えてこないが、最後の2つの句になると、暗い時代への予感のようなものも感じられる。その意図があるかどうかは別にして。
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