verse, prose, and translation
Delfini Workshop
アーレントとハイデガー
2006-07-03 / 本
月曜日、
のち
。旧暦、6月8日。
疲れて、昼まで眠。午後、雑用。土曜日に図書館で借りてきた『アーレントとハイデガー』(みすず書房 1996年)を一気に読んでしまった。いろいろな意味で興味深い本だった。この本を読んで、考え込んでしまった。人間相互の感情の絆とは実に不思議である。アーレントとハイデガーの関係は尋常ならざるものだったことがよく分かる。著者のエルジビェータ・エティンガーは、ポーランド生まれでワルシャワ・ゲットーを生き延び、現在は、マサチューセッツ工科大学で文学を講じている。おそらくは、ナチを心底憎んでいるであろう。この本の中でもナチに協力的で、生涯、ナチ協力の罪を認めなかったハイデガーには、辛辣である。そんなハイデガーに生涯忠実でナチ協力の汚名を少しでも軽くしようと尽力したアーレント。同じように、ハイデガーの友人だったヤスパースが、戦後、ぎりぎりの友情回復に努力したが、結局、果たせず死んでしまうのと対照的である。著者も、女性でありユダヤ系であり、18歳で半ばハイデガーに騙された初期のアーレントには、同情的であるが、徐々に、距離を置き、批判的になっていく。
アーレントは、7歳のときにお父さんが梅毒で死亡、お母さんは、親戚の家に長期滞在することが多く、幼少時、一人で家に残されて、このまま自分は捨てられるのではないか、という不安に怯えたという。13歳のときにお母さんが再婚したが、新しいお父さんにはなじめなかったらしい。大学の学費は、両親ではなく叔父さんが出していたという。
アーレントが18歳で言い寄られたとき、ハイデガーは35歳で2人の息子の父親だった。ハイデガーは女好きで(アーレント以外にも妻の学友にも手を出している)、二枚舌、策士、ひどいペテン師のように描かれている。
この本の物語をそのまま信じれば、ハイデガーはとんでもないエロ詐欺野郎で、アーレントはファザコンということになるが、いったい何が問われているのか。美しいヘルダーリン論を書いたハイデガーと卑劣で自己保身的なハイデガー。深い洞察力に富んだ思索日記を残したアーレントとハイデガーに反論もできない女子学生みたいなアーレント。どっちも本当なのだろう。
面白いのは、同じユダヤ系で同じように米国に亡命し同じように全体主義の起源に関心を寄せながら、アーレントが最も嫌っていたのは、アドルノ、ホルクハイマーなどのフランクフルト学派の面々だった。フランクフルト学派の人々は、ベンヤミンも含めて、戦前戦後一貫してハイデガーに批判的だった(ハイデガーの弟子の一人で、フランクフルト学派の有力なメンバーだったマルクーゼは、戦後、ナチ協力の罪を認めて償うようにハイデガーに懇願したが、ついにハイデガーは聞き入れなかった。逆に、アーレントは、ハイデガーに罪はないと主張した)。
ふと、現代の大学で同じことが起きるだろうか、と想像してみた。当時のドイツの大学教授にあったような家父長的な権威-とくにハイデガーは自らを神秘的に演出する術に長けていたらしい-は今はまったくないだろう。教師と名のつく職業ほど、現在、社会的な不信感に晒されている職業はないのではないか。ハイデガーがアーレントにしたように、3ヶ月も教室でじろじろ観察すれば、ストーカーであろうし、その後、とくに理由もなく研究室に呼んで、数日後に、君を守りたい風のバカバカしい手紙-凝った散文と詩からなる-を個人住所宛てに送付すれば、一発でセクハラであろう。現代の女子学生なら、こうした事態に対して、多様な解釈枠組を持っているし、情報量も当時のドイツとは比較にならないから、「なんだ、このエロオヤジ」で一蹴されるのではないか。ただ、これが学者を目指す大学院生とその指導教授だったら、事態は少しやっかいになるかもしれない。教授は、未だに権力者であり、大学院生の将来を握っているからだ。アーレントの場合は、アーレント自らが、その関係を望んだふしがあるところに特徴がある。いったんは、ハイデガーのいたマールブルクを去って、ハイデルベルクのヤスパースの許で勉強することにしたのだが、二人の関係は切れない。ハイデガーの方にも強力な磁力があったとしか思えないのである。
孔子はこんな言葉を残している。「子曰く、其の以ってする所を視、其の由る所を観、其の安んじる所を察すれば、人焉んぞ痩さんや。人焉んぞ痩さんや」
「子曰く、人間はその行っていることを注視し、その由来するところを観取し、その安心している所を察知すれば、その性質は匿そうたって匿しおおせるものではない。心のそこまで見抜けるものだ。」(宮崎市定訳)
「人間というものはうそをつくものだから、その行いと根拠に注目して人となりを判断しなければならない。また、人間というものは他人が見ていればカッコつけるものであるから、その安んじた世界をよく知ってから判断すべきである。」(冬月訳)
ハイデガーとアーレントの残した著書や思想を全面的に否定してしまうのは一番簡単で楽な方法だろう。問題は、二人の思想と行動の関係、思想と安んじた世界の関係を、どう理解するかであり、その思想のアクチャリティをどう救い出すかだろう。そんなことを感じさせる本だった。


疲れて、昼まで眠。午後、雑用。土曜日に図書館で借りてきた『アーレントとハイデガー』(みすず書房 1996年)を一気に読んでしまった。いろいろな意味で興味深い本だった。この本を読んで、考え込んでしまった。人間相互の感情の絆とは実に不思議である。アーレントとハイデガーの関係は尋常ならざるものだったことがよく分かる。著者のエルジビェータ・エティンガーは、ポーランド生まれでワルシャワ・ゲットーを生き延び、現在は、マサチューセッツ工科大学で文学を講じている。おそらくは、ナチを心底憎んでいるであろう。この本の中でもナチに協力的で、生涯、ナチ協力の罪を認めなかったハイデガーには、辛辣である。そんなハイデガーに生涯忠実でナチ協力の汚名を少しでも軽くしようと尽力したアーレント。同じように、ハイデガーの友人だったヤスパースが、戦後、ぎりぎりの友情回復に努力したが、結局、果たせず死んでしまうのと対照的である。著者も、女性でありユダヤ系であり、18歳で半ばハイデガーに騙された初期のアーレントには、同情的であるが、徐々に、距離を置き、批判的になっていく。
アーレントは、7歳のときにお父さんが梅毒で死亡、お母さんは、親戚の家に長期滞在することが多く、幼少時、一人で家に残されて、このまま自分は捨てられるのではないか、という不安に怯えたという。13歳のときにお母さんが再婚したが、新しいお父さんにはなじめなかったらしい。大学の学費は、両親ではなく叔父さんが出していたという。
アーレントが18歳で言い寄られたとき、ハイデガーは35歳で2人の息子の父親だった。ハイデガーは女好きで(アーレント以外にも妻の学友にも手を出している)、二枚舌、策士、ひどいペテン師のように描かれている。
この本の物語をそのまま信じれば、ハイデガーはとんでもないエロ詐欺野郎で、アーレントはファザコンということになるが、いったい何が問われているのか。美しいヘルダーリン論を書いたハイデガーと卑劣で自己保身的なハイデガー。深い洞察力に富んだ思索日記を残したアーレントとハイデガーに反論もできない女子学生みたいなアーレント。どっちも本当なのだろう。
面白いのは、同じユダヤ系で同じように米国に亡命し同じように全体主義の起源に関心を寄せながら、アーレントが最も嫌っていたのは、アドルノ、ホルクハイマーなどのフランクフルト学派の面々だった。フランクフルト学派の人々は、ベンヤミンも含めて、戦前戦後一貫してハイデガーに批判的だった(ハイデガーの弟子の一人で、フランクフルト学派の有力なメンバーだったマルクーゼは、戦後、ナチ協力の罪を認めて償うようにハイデガーに懇願したが、ついにハイデガーは聞き入れなかった。逆に、アーレントは、ハイデガーに罪はないと主張した)。
ふと、現代の大学で同じことが起きるだろうか、と想像してみた。当時のドイツの大学教授にあったような家父長的な権威-とくにハイデガーは自らを神秘的に演出する術に長けていたらしい-は今はまったくないだろう。教師と名のつく職業ほど、現在、社会的な不信感に晒されている職業はないのではないか。ハイデガーがアーレントにしたように、3ヶ月も教室でじろじろ観察すれば、ストーカーであろうし、その後、とくに理由もなく研究室に呼んで、数日後に、君を守りたい風のバカバカしい手紙-凝った散文と詩からなる-を個人住所宛てに送付すれば、一発でセクハラであろう。現代の女子学生なら、こうした事態に対して、多様な解釈枠組を持っているし、情報量も当時のドイツとは比較にならないから、「なんだ、このエロオヤジ」で一蹴されるのではないか。ただ、これが学者を目指す大学院生とその指導教授だったら、事態は少しやっかいになるかもしれない。教授は、未だに権力者であり、大学院生の将来を握っているからだ。アーレントの場合は、アーレント自らが、その関係を望んだふしがあるところに特徴がある。いったんは、ハイデガーのいたマールブルクを去って、ハイデルベルクのヤスパースの許で勉強することにしたのだが、二人の関係は切れない。ハイデガーの方にも強力な磁力があったとしか思えないのである。
孔子はこんな言葉を残している。「子曰く、其の以ってする所を視、其の由る所を観、其の安んじる所を察すれば、人焉んぞ痩さんや。人焉んぞ痩さんや」
「子曰く、人間はその行っていることを注視し、その由来するところを観取し、その安心している所を察知すれば、その性質は匿そうたって匿しおおせるものではない。心のそこまで見抜けるものだ。」(宮崎市定訳)
「人間というものはうそをつくものだから、その行いと根拠に注目して人となりを判断しなければならない。また、人間というものは他人が見ていればカッコつけるものであるから、その安んじた世界をよく知ってから判断すべきである。」(冬月訳)
ハイデガーとアーレントの残した著書や思想を全面的に否定してしまうのは一番簡単で楽な方法だろう。問題は、二人の思想と行動の関係、思想と安んじた世界の関係を、どう理解するかであり、その思想のアクチャリティをどう救い出すかだろう。そんなことを感じさせる本だった。
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コメント ( 6 ) | Trackback ( )
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芭蕉? 何が書いてあるのかな、と
瞥見・・・のつもりが、いろいろと
脳を刺激されて、H.A.とM.H.
で、盛んに上下スクロール。
基本的には、私も著者の考えと同じ、
MHを許せない人種なのですが・・・。
一回り年上の亡学兄は、かなりのリベラ
リスト。でも亡くなる少し前に、私の
節度を心得たMH批判(AHも含めて)
に、異様な反応を示して、きれいな和解の
ないままになったことを、どうしても
思い出します。・・・
(長くなりそうなので、この辺で)
ハイデガーの場合、その思想がナチの思想と響きあうものを内在的に持っていたように感じます。その内的な関連性をもっと明晰に理解できればな、と考えています。また、アーレントの場合、ハイデガーの思想から何を学んだのか、大変興味のあるところです。
追記。大昔のことですが、学生時代に、
人並みに Sein u. Zeit の、
かなり丁寧な原書講読を受けて、
思想の深みを感じていただけに、
M. H. のことは、今も複雑な思いです。
paul-ailleurs さんのTBも拝見。
今、アーレントの思索日記Ⅱを読んでいますが、60年代くらいから、ハイデッガーの批判(倫理的な批判ではなく、哲学上の批判)が出てきて興味深いですね。
この日記を読むと、アーレントは、ハイデガー哲学徒だったことがよくわかります。