コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
芭蕉からH.A.
(
悠
)
2006-07-06 03:03:18
「芸術」ジャンルの新着から新着。
芭蕉? 何が書いてあるのかな、と
瞥見・・・のつもりが、いろいろと
脳を刺激されて、H.A.とM.H.
で、盛んに上下スクロール。
基本的には、私も著者の考えと同じ、
MHを許せない人種なのですが・・・。
一回り年上の亡学兄は、かなりのリベラ
リスト。でも亡くなる少し前に、私の
節度を心得たMH批判(AHも含めて)
に、異様な反応を示して、きれいな和解の
ないままになったことを、どうしても
思い出します。・・・
(長くなりそうなので、この辺で)
Unknown
(
冬月
)
2006-07-06 16:46:50
■どうも、コメント、ありがとうございます。才能と人間性の関係は、それが個人的なレベルの問題に留まっている限り、罪はさほどではないと思いますが、ナチへの協力のように社会的・歴史的な広がりを持ってくると、様相が一変しますね。ハイデガーもアーレントも罪深いですね。一方、その罪のために、二人の仕事を感情的に全面否定してしまうことには、ぼくは反対です。仕事の内容に即した批判的な検討が必要なのではないでしょうか。
Unknown
(
paul-ailleurs
)
2006-07-15 09:12:41
アーレントとの関係については触れられていませんが、彼の二面性についての記事がフランスの雑誌に出ていましたのでまとめてみました。TBさせていただきます。仰るように、彼の人間性、社会活動と彼の哲学を分けて考えることも重要に思います。
Unknown
(
冬月
)
2006-07-15 11:12:06
■TB、拝読しました。「LE POINT」という雑誌は、面白そうですね。ハイデガーは、ヘルダーリン論を何冊か読み、その美しい解釈に感嘆しました。近代の技術文明批判という文脈でも、じっくり読んでみたい哲学者です。アーレントは、最近出た『思索日記』を読み、やはり大変興味深い思想家であると確認しました。
ハイデガーの場合、その思想がナチの思想と響きあうものを内在的に持っていたように感じます。その内的な関連性をもっと明晰に理解できればな、と考えています。また、アーレントの場合、ハイデガーの思想から何を学んだのか、大変興味のあるところです。
再来
(
悠
)
2006-08-21 02:23:32
真夜中の、新着記事一覧から、再来。
追記。大昔のことですが、学生時代に、
人並みに Sein u. Zeit の、
かなり丁寧な原書講読を受けて、
思想の深みを感じていただけに、
M. H. のことは、今も複雑な思いです。
paul-ailleurs さんのTBも拝見。
Unknown
(
冬月
)
2006-08-21 07:56:15
■悠さん、ようこそ。『存在と時間』は、翻訳本だけありますが、まだ未読です。そのうちじっくりと考えているうちに10年経ってしまいました(笑)。
今、アーレントの思索日記Ⅱを読んでいますが、60年代くらいから、ハイデッガーの批判(倫理的な批判ではなく、哲学上の批判)が出てきて興味深いですね。
この日記を読むと、アーレントは、ハイデガー哲学徒だったことがよくわかります。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
芭蕉? 何が書いてあるのかな、と
瞥見・・・のつもりが、いろいろと
脳を刺激されて、H.A.とM.H.
で、盛んに上下スクロール。
基本的には、私も著者の考えと同じ、
MHを許せない人種なのですが・・・。
一回り年上の亡学兄は、かなりのリベラ
リスト。でも亡くなる少し前に、私の
節度を心得たMH批判(AHも含めて)
に、異様な反応を示して、きれいな和解の
ないままになったことを、どうしても
思い出します。・・・
(長くなりそうなので、この辺で)
ハイデガーの場合、その思想がナチの思想と響きあうものを内在的に持っていたように感じます。その内的な関連性をもっと明晰に理解できればな、と考えています。また、アーレントの場合、ハイデガーの思想から何を学んだのか、大変興味のあるところです。
追記。大昔のことですが、学生時代に、
人並みに Sein u. Zeit の、
かなり丁寧な原書講読を受けて、
思想の深みを感じていただけに、
M. H. のことは、今も複雑な思いです。
paul-ailleurs さんのTBも拝見。
今、アーレントの思索日記Ⅱを読んでいますが、60年代くらいから、ハイデッガーの批判(倫理的な批判ではなく、哲学上の批判)が出てきて興味深いですね。
この日記を読むと、アーレントは、ハイデガー哲学徒だったことがよくわかります。