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フランス社会について

日曜日、。春疾風。

終日、掃除・片付けに追われた。

昨日の朝日の朝刊に吉本隆明が、コラムを書いている。自然に対する感受性の重要性を指摘する吉本隆明の指摘には共感するが、3つ気になった。1つは、自然に対する感受性が欠如した若手詩人たちの背景には、後期近代社会の都市化、グローバリゼーション、季節の不安定化(温暖化)などがある点。社会と自然の関わりの変化といった枠組みで、詩人たちの感受性の変化を捉えないと、大事な問題を見逃すような気がする。第二に、こうした若手詩人たちの感受性を構成した当事者の一人が、吉本のような詩の評論家ではないか、という点。長く文芸批評に携わってきた者の発言としては、他人事のような印象を受ける。第三に、若手詩人の30冊と言っても、所詮は、思潮社の詩集であること。全国から出されている詩集を年齢に囚われず幅広く渉猟すべきではないのだろうか。思潮社だけが詩人を代表するわけでも、詩の今を写しているわけでもないだろう。



昨日は、哲学塾だった。お茶を飲みながらの雑談で楽しかった。パリを研究拠点にしている石塚先生に、日ごろ、疑問に思っている点を、いくつか尋ねてみた。

<家父長制と議論好き>

・ぼくの疑問:リセで哲学の授業が行われ、議論する習慣のあるフランス社会は、どうやって、市場競争に生き残っているのか。ぼくのイメージでは、家父長制社会や家族主義的な組織は、命令系統が一元的であり、市場に適応しやすい。他方、議論して意思決定する自由な組織は、判断が遅れたり、民主主義的な手続きを踏むため、資本主義的競争に合わないのではないか。リセの哲学教育を廃止しようという動きはないのか。

・フランス社会の基層は完全な家父長制社会で、強い大統領が求められる。大統領の権限は非常に大きい。家父長制社会はカトリシズムの精神風土とマッチしている。

・基本的にリセの哲学教育は最終学年に行われる。フランス革命によって、政教分離の原則が出来てから、宗教に代わる倫理教育として出発している。このため、廃止の動きはない。

・ぼくの疑問:家父長制社会と議論する風土が両立しているメカニズムは何か。

・これは、伝統的に労働組合が強いことに現れている。家父長制社会が非常に強いので、その反動として労組の存在が強くなる。ここから、面白いことに、右派のサルコジは、家父長制社会こそがフランス社会の競争力を弱めていると攻撃している。というのは、家父長制が強すぎるからこそ、労組の力が強く、長期バケーションや労働時間の短縮が行われるからだ。

<移民>

・ぼくの疑問:イスラム圏からの移民が増大し、昔からのユダヤ人問題は、後退したのか。

・今でもユダヤ人問題は根強くある。欧州で、今でも火を噴く未解決の問題は3つある。一つはユダヤ人問題、2つはフランス革命をどう観るかという問題、3つはハイデッガーとナチスとの関わりの問題。ユダヤ人は、知識人・ショービジネス・マスコミに多く進出している。ユダヤの陰謀に対する決起としてビンラディンの9.11を捉える構図さえある。反ユダヤのデモが9.11後に起きている。

・移民は、北アフリカのマグレブ諸国からの移民が多い。黒人である。黒人差別は非常に大きい。フランス社会では。人種分業が見て取れる。黒人は見えないところで働いている。レストランでは、厨房。ビルなら警備。

このほか、先生専門の社会哲学について、いくつか、面白い議論を聴くことができた。論点だけ記す。

・ぼくの疑問:ヴィトゲンシュタインは、一次大戦後の知性たちの危機意識の中ではどういう位置づけになるのか。

・ヴィトゲンシュタインは、基本的に、論理実証主義の源流になる。実証主義の一つ。つまり、近代科学技術や進歩、楽天的な世界肯定と結びつく余地がある。

・ぼくの疑問:ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論は、規律・学習という側面で、存在の被拘束性(カール・マンハイム)を受けることになるのではないか。その意味で、カール・マンハイムやマルクスの唯物論とも近い側面があるのではないか。

・確かに、その点では、社会の拘束性を受けると思う。ただ、ヴィトゲンシュタインを考える場合、前期と後期を分けて考える必要がある点と、前期・後期を一貫する言葉の用法の厳密さへの志向性は、ある意味で科学主義につながるところがある。
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