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Pascal 『Pensées』を読む(25)


■1月4日、木曜日、

(写真)無題

とうとう、PCが壊れた。昨日、修理に出して、今は、代替のノートを使用。ノートは使いにくいので、勢い、ウェブにつなぐ回数が減る。ちょうど、タイミング良く、というべきが、悪くと言うべきか、腰痛が再発。仕方ないので、大人しくしている。腰痛は、完全に運動不足が原因だろう。そろそろ再開しないと。

福島原発事故以来、ここは、ホットスポットになってしまったので、戸外でウォーキングができなくなった。自然の中へ気分転換に行くこともできない。相当ストレスがたまる。こういう精神的な苦痛を与えていることに、世界最大級のデタラメ公害企業、東京電力は、罪の意識を感じているのだろうか。たぶん、何も感じていないだろう。言葉ではなく行動を見ていればわかる。人間を「市場」(あるいは「労働力」)としてしか見なくなり、ナチスのように、人間的な感覚や感情が鈍磨してしまったのだろう。これは大げさな例えではなく、資本主義に内在する構造的な欠陥なのだと思う。危機になるほど、本質がはっきり出る。人間的な感情をもった人々が、これだけ広範囲に苦しみや不安を与えておきながら、原発再稼働と10%の電気料金値上げを前提にして、2014年の3月期に損益を黒字化します、などといった試算を平然と出すだろうか。記事はここから>>>

今日は、もうひとつ、驚くニュースがあった。「命懸けの放送 教材に 埼玉県が『天使の声』独自作成」ここから>>> これは学校教材ではなく、原子力村の成人教育に使ったらどうだろうか。「天使の声」は美談にしてはならないんじゃないか。なぜ、遠藤さんを含めて、町の職員39人が犠牲になったのか、どうしたら、避けられたのか。そうした行政機構としての避難体制や仕組みを、避難誘導との関わりの中で、考え直す教材にすべきで、遠藤さんと同じ犠牲者を再生産する精神主義一辺倒の教材にしてはならないだろう。これでは、あの戦争の教訓が何も生かされていないではないか。美しい心の人間は、帰って来なければならない、と思うがいかがだろうか。



Spongia solis.
Quand nous voyons un effet arriver toujours de même, nous en concluons une nécessité nqturelle, comme qu'il sera demain jour, etc. Mais souvent la nature nous dément et ne s'assujettit pas à ses propres règles.
Penséés 559

ソポンジア・ソリ(太陽の海綿)。
いつも結果が同じになるなら、それは自然の必然性だと、われわれは判断する。たとえば、明日も太陽は存在するなど。だが、自然はたびたび我々の予想を裏切り、自然の諸法則を踏み外す。


■これ以降のいくつかの断章は、非常に重要だと思う。ここもそうだが、自然の法則性を、ある意味で、否定している。これは、現代の量子論からすれば、人間を含めた物質には、法則のような必然的なものはなく、存在の有無は、確率論的に決まるとの立場になるから、パスカルに現代科学が追いついた形になる。明日、太陽が存在するのは、確率論的な現象で、必然的ではないことになる。必然性あるいは決定論とは何のか、パスカルの断章は鋭く問いかけている。


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