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往還日誌(141)






■4月7日、日曜日、早朝に起きて、J.J RousseauのDu Contrat Socialを読む会の準備。

フランス語の発音が正しくできず、悔しい思いを繰り返しているところである。発音もきちんと調べておくべきだが、なかなか、手が回らない。

母音で終わる開音節のeは発音せず、子音で終わる閉音節のときのeは発音する、という理解が正しいeの発音理解の仕方だとわかったが、音節がどこで切れるのかは、ロベール仏和大辞典には明記されているが、普通の仏和辞典には出ていない。

普通の仏和辞典は、カタカナ表記や対応する英語が併記されていることが多い。これはこれで、役に立つが、ぜひ、音節がどこで切れるのか、発音記号の中で示してほしいと思う。

J.J Rousseauは、現存民主主義を批判する上で、非常に重要な理念的根拠、「一般意志」を提示している。これに気が付いたことだけでも、この読書会は意味があったと思っている。

2022年4月3日に第一回を記録しているので、丸2年、3年目に入った。もう少し、フランス語の発音を上達させたいが…

午後、上洛。

新幹線は、『100年の難問はなぜ解けたのか』を読む。

この本の内容は、テレビ番組でも観た記憶があるが、本もとてもいいと思う。知りたいところを丁寧によく取材しているし、解説もわかりやすい。著者の春日真人さんは、京都大学数理解析研究所の若い数学者たちも取材しているが、書籍化はしていないようである。

ポアンカレ予想にしても、フェルマーの最終定理にしても、その証明に至るドラマには、強烈な光と翳がある。

それは、数学者個人の人間を変えてしまうほどの力を持っており、ある意味で、難問は魔物だと思える。

春日さんが、あとがきで、取材趣旨を話すと、一般の人から返ってくる最後の反応があると書いている。

それは「数学の難問を解いて、何のためになるの?」という必殺の反応である。

この問いに取材班は終始苦しめられた、と春日さんは告白している。

非常に面白いと思う。

私も、うすぼんやりと、数学の難問は、しょせん人間が出すものであり、それが解決しても、自然の謎が解けるわけではない、と思っていた。

ところが、このペレルマン博士がポアンカレ予想を証明したことで、驚いたことに、宇宙が取り得る可能な形の選択肢は8つある、ということが「論理的に」確定してしまったのである。

これは一番驚いた。

人間が考える数学の謎と、自然が作り出す宇宙の謎は、実は、つながっているようなのだ。

そのつながりは、ポアンカレ予想のように、ただちに、可視化できるものもあれば、あとで、わかってくるものもあるはずである。

数学者は、目の前の難問と格闘するが、「数学の難問を解いて、何のためになるの?」という、社会の聲は、数学の難問解決によって生まれた「知識の使用」という問題が、難問の解決それ自体とは別個に、常に存在することを示している。

この問題も、難問解決と同じくらいの考察価値を持つ問題だろう。

(数学の難問解決によって、あたらしい問題が、別次元に生まれてしまう可能性も含めて)

夜、コンビニで卵を買ってきて、りゅうじさんの「悪魔のたまご丼」を作る。

京都は、かなり暖かい。22:40現在で、室温、23℃。賀茂川の夜櫻は、満開を過ぎて散り始めている。




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一日一句(3216)






わけもなく子どもは跳ねる春の道






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