goo

往還日誌(26)







■朝6時半に起きると、窓の外で鳶が啼いている。室温8.3度、湿度61%。

日が長くなったのが、京都へ戻るとよくわかる。夕日の色も明らかに冬夕焼けよりも優しい色になっている。

25日は珈琲の日だったので、初めて「ライオンキッチン」で食後に、アメリカンを飲んだ。美味だった。一定庵で珈琲を飲むために、白いライオンのカップを購入した。

「アイハート」で当座必要な食品の買い物。ファミマで水3本と京都新聞を購う。

詩人の柴田三吉さんからハガキが届いていた。詩誌『東国』165号に掲載した私の作品に対する感想をいただく。とても面白かったとのこと。一人で暮らすと、こういうハガキが嬉しい。

高崎線、新幹線、ともに車中は、ずっと、昨日締め切りの翻訳原稿の作業を行う。人身事故で、東京駅まで行かずに、上野で終点になり、のぞみに間に合うかどうか、少々焦ったが、間に合った。

一定庵でも、ずっと、このルカーチの『社会的存在の存在論』のドイツ語と向き合う。内容的には、かなり面白く引き込まれるが、難しい箇所が2、3あり、一応の解釈は出したが、まだ、読み込みが必要かもしれない。

原稿を送った後、エコノミストのTさんからラインで送っていただいた岩井俊二監督の1時間強の短編映画『チャンオクの手紙』を一通り観る。映像がとても美しい。

内容的には、年代や性の違いで、意見が分かれるかもしれない。そこに描かれた韓国の現代女性像は、言葉ではなく行動に注目すると、日本の男性から見た日本の望ましい女性像が、韓国の現代家族に投影されているように感じた。

フェミニズムの問題は、男性にとっては、言論ではなく、日常実践の中でしか、語れない(語るのではなく行動するのだが)。つまり、非常に身近な家族形成の中で、家族にどう評価されているのか、という点が原点だろう。

これは、本当に難しいことである。仕事に追われ心に余裕がなかったり、相性の問題があったり、育った環境や性よる解釈の違いがあったり。愛情というのは、それが実現し持続するのは、簡単なようで、至難のことなんだと思う。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(2915)







藪椿一輪藪を出でしかな






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )