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非の打ちどころ






■きょうは、朝6時からZur Ontologieの仕事をはじめて、午後2時過ぎに終えて、デジタルデータとハードコピーをN先生へ送った。締め切りが迫ると、焦ってしまって、じっくり考えられなくなるので、普段からコツコツやるべきだという反省を毎回やって今や4回目である。ただ、今度ばかりは、この切迫感を避けるために、一計を案じた。翻訳ノートを作成することを目的として、毎日進めるというものである。ここに、語学上のコメントと内容上のコメントを書き込み、関連の資料も加えて、ファイルを形成し、それを作成していくことを目的にする。つまり、翻訳文はその結果できあがるというスタンスとする。その方が、やりがいがあるし、このテクストにはいいように思う。このため、専用のノートを10冊注文した。

一段落つけて、気分が軽くなったところで、アンドーナツを買いに上尾まで歩いて行った。途中でビールを買って公園で飲んだりしながら、歩いた。上尾のアンドーナツは、美味しいのだが、ぼくのイメージとはちょっと異なった。パン屋さんのアンドーナツで、揚げパンの一種のような大ぶりのものだった。美味しいので、それでもいいのだが、まだ、探求は止む気がしない。

歩きながら、ブルーハーツの「月の爆撃機」を歌った。気分が佳かった。まだ、最初の方しか歌えないのだが、「手がかりになるのは薄い月あかり」というフレーズが好きである。娘に台湾ビールを頼まれていたので、アンドーナツの先の酒屋さんに行って探したが、置いてなかった。以前はあったらしいが、今はやってないという。

途中の公園でよく晴れた青空をぼんやり見ながら、アンドーナツを食べた。帰りにスーパーに寄って、「さわら」を買って、帰宅後、さわらの野菜あんかけを作った。

夕方、ロミーにMouvement et Temps No.2を送ると、夜には返信があって、絶賛している。先に送った第1番は、これも評価が高かったが、tenseの問題を指摘してくれた。作品によって、時制の問題がとても難しいものがある。それは日本語で書いているときには気がつかない。英語にして初めて生じてくる問題のひとつ、しかもかなり重要な問題である。第一番は、ロミーの指摘を踏まえて、時制を、現在形を基本にして、場面によって効果的に現在完了と未来を使用した。第2番は、時制は問題化しない。

Mouvement et Tempsのシリーズの日本語版は、詩人の野村喜和夫さんから、「非の打ちどころがない」という高い評価を得ている。詩集として世に問うようにというアドバイスも受けているので、近く実現したいと思っている。この評価は嬉しいのだが、「非の打ちどころ」というのは実は必要で、それが「ない」というのは、終わっている。つまり、このシリーズは、これ以上の展開や運動は、恐らく、ない、ということなのである。このシリーズは、フランスの詩人、フランシス・ポンジュをひとつのモデルにした。もちろん、自分のカラーや自分の時間・空間理論さえ詩にしているので、すいぶん違うものになっているはずである。問題は、ポンジュをどう抜け出るか、である。その手掛かりはすでにある。

なんだが、体のいい自慢話めいてしまったが、仕事が一段落して気が緩んだ。許されよ。

夜は、公開講座のOさんが送ってくれたレターを会員にメールで回覧した。





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一日一句(2480)







聖五月みどりのなかの笑ひかな






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