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Cioranを読む(66)


■旧暦10月12日、月曜日、、芭蕉忌

(写真)松戸アートラインプロジェクト2011より、青木麦生「松戸歌壇」

毎年初冬、市内数か所で、アート関連のプロジェクトがある。今年も、始まったが、上の写真は、市内を流れる坂川に短歌を沈めたもの。俳句や短歌は、句会も歌会も室内で行われ、吟行を別にすれば、たいてい、室内で作られるので、短詩形文学を戸外に引っ張り出すという発想に、とても惹かれた。1978年生まれだから、まだ、若い歌人だが、俳句や短歌も、オブジェになることを教えてくれている。非常に新鮮である。街や村にいろいろな俳句や短歌のオブジェが溢れたら、と想像すると、とても愉快だ。

FBの友だちが、アメリカのOccupy Wall Streetについて、面白い記事をアップしてくれたので、ここでも紹介したい。ここから>>> なかなか、日本にいると、運動の全体像が見えない。これを読むと、ただの格差反対運動ではないことがわかる。運動自体を創出しながら進んでいる感じだ。インターナショナル庶民談話会みたいな側面もあって、こうした流れが、加速・定着するといいと思う。脱原発運動とも、十分、連携が可能だと思える。生きることの根源と方法を問うているからだ。



Plus on a souffert, moin on revendique. Protester est signe qu'on n'a traversé aucun enfer. Cioran Aveux et Anathèmes p. 79 Gallimard 1987

辛い思いをすればするほど、権利要求をしなくなる。抗議するのは、どんな地獄も経験したことがない証拠である。

■学生の頃、兵庫県のバイトで世論調査のアンケートを取ったことがある。まだ、戦争経験者が健在で、地域で元気なお年寄りだった頃のことである。町内会長を務める明るい顔のその老人と、いろいろ、アンケートについて話した後で、自然に、戦争について、いろいろ、話を聞いた。内容は今ではすっかり忘れてしまったが、何か、そのときは、老人に話を聞いておかなければという衝動のようなものがあったように思う。老人の方でも、自分の戦争経験を若い人に伝えたいという意志が感じられた。ああ、いい話を聞いたなと思って、もう一軒の老人を訪ねた。こちらの老人は、昼間から、4畳半のアパートで布団をかぶって寝ており、枕元には一升瓶が転がっていた。住まいも暗く、どこか、人生を断念したようなところがあった。やはり、満州か、南方から帰国した元兵士だった。話の糸口もないまま、アンケート調査を終了し、よせばよかったのだが、戦争の話を持ちだしてしまった。その老人は、非常に不機嫌になり、身を固くして、貝のように、また布団を被ってしまった。その前の老人との落差が大きく、なんだか、むやみに腹が立ってきた。戦争経験は広く伝えるべきだなどと、教科書みたいなことを思っていたのである。それは、戦争の話を聞いてやるという、どこか、上目線の傲慢さがあった。老人を詰り、そのうち、喧嘩になってしまったのである。老人は、嘆いた。国のために、さんざん苦労して、今度は、若い人に非難されるのかと。老人は、泣いていた。

シオランの断章は、50になった今、痛いほどよくわかる。声なき声。言葉にならない言葉。悲鳴。そういったものが、歴史空間には、充満しているのだと。









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一日一句(261)






空つ腹に珈琲苦し神の留守





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