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L・Wノート:Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik(5)


■旧暦7月16日、月曜日、、盆(月遅れ)、敗戦記念日・終戦記念日

(写真)無題

実家から戻る。太田市は、内陸部で異様に暑かったが、昨夜、激しい雷雨があり、その夜、一気に秋めいた。雨が止むのを待って、持参した花火をする。線香花火が一番面白い。闇と光の対比、余韻といったものだけでなく、光のランダムで幾何学的な形がいい。電池が終わって撮れなかったのだが。

実家に帰ると、墓参りをするのが習慣なので、今回も、行こうとすると、母と妻に止められた。迎盆を済ませているから、墓の方はだれもいない、空なのだから、行ってもしょうがないという。まあ、確かに、理屈の上では、そうなのだが、そもそも、その理屈自体、とくに根拠はないのだから、自分の習慣を優先させることにした。今朝早く墓参りを済ませたのだった。

どうも、今一つ、元気が出ないので、Enzensbergerの詩と散文を、朝、翻訳してから仕事に入ろうかと思っている。Hans Magnus Enzensberger(1929-)。82歳。Günter Grass (born in 1927)、Martin Walser (1927-) 、Jürgen Habermas (1929-)などと同世代になる。日本では、詩人の片桐ユズル(1931-)さんなどとと同世代ということになろうか。みな戦争の経験者である。



16. Der Witz des Wortes alle ist ja, dass es keine Ausnahme zuläßt. - ja, das ist der Witz seiner Verwendung in unserer Sprache; aber welche Verwendungsarten wir als Witz empfinden, das hängst damit zusammen, welche Rolle diese Verwendungen in unserm ganzen Leben spielt. Ludwig Wittgenstein Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik p. 43 Werkausgabe Band 6 Suhrkamp 1984

「すべて」という言葉のポイントは、例外を認めない点にある。確かに、例外なしは、われわれの言語でその言葉を使うときのポイントだが、どういう使い方が重要だと感じるのかは、その使い方が、われわれの生活全体の中でどんな役割を担っているかに関連している。

■ストンと納得できる断章。言葉の使い方は、全生活の中でのその言葉の役割に規定されるという考え方に、唯物論、あるいは広い意味で、社会理論へ接続する契機を感じる。言葉の使用法の検討は、言葉だけの世界で完結しない。判断や行動、それらを含む生活の全プロセスとの関わりが問題になる。

ただ、他方で、生活の中で特定の役割があるとも思えない、高度に数学的な言語は、どう考えるべきなのだろうか。生活から発生しているのは確かだが、その接点をどう、ヴィトゲンシュタインは、解明するのか。その点に注目したい。

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一日一句(199)






天心に秋は来にけり立ち小便





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