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芭蕉の俳句(13)


■旧暦8月2日、火曜日、

(写真)夏の余韻

夏のすさまじきもの。中華料理店に入って、ビールを頼んだとき、出てきたのがスーパードライだったり、居酒屋で生を頼んだら、出てきたのがサントリーだったりする刹那。宅飲みでは、最近は、シルクヱビスかキリンのスタウトがいいように思う。

今年の夏期講習も面白かったが、再発見したものが二つある。一つは、「枕草子」。これ、意外と知らない段が多い。全部で300段以上あるのだ。「徒然草」の243段より多い。もう一つは、魯迅。この人を読むと、人間の勇気というものはどんなものなのか、しみじみわかる。たとえば、「些細な事件」(1920年)を読まれたい。

「枕草子」から、風の段(189)を紹介したい。

風は嵐。三月ばかりの夕暮にゆるく吹きたる雨風。

 八、九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨のあし横さまに、さわがしう吹きたるに、夏とほしたる綿絹のかかりたるを生絹の單衣重ねて著たるもいとをかし。この生絹だにいと所せく、暑かはしく、取り捨てまほしかりしに、いつのほどに、かくなりぬるかと思ふもをかし。暁に格子、妻戸など押しあけたれば、嵐のさと顔にしみたるこそ、こそいみじくをかしけれ。

 九月晦日、十月のころ、空うち曇りて風のいとさわがしく吹きて、黄なる葉ども、ほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。櫻の葉、椋の葉などこそ、いととくは落つれ。十月ばかりに、木立多かる所の庭は、いとめでたし。

■九月は風の月というイメージができたのは、宮澤賢治あたりから、と思っていたが、すでに「枕草子」でそのイメージは決定されていた。注意深く読むと、「枕草子」は宮廷周辺の事柄だけでなく、庶民も登場する。風流の原型が、ここにはあるので、興味を持った。

※9月3日(土)になくそう原発9.3柏デモがある。13:30柏中央公民館、14:30デモ出発。



塚も動け我泣声は秋の風   「おくの細道」(元禄二年)

■これは追悼句だが、その直情にいつもたじろぐ。芭蕉は、もともと、こういう激しい人だったのではないかと思う。芭蕉-一茶-放哉-山頭火という系譜が、蕪村-子規-虚子の系譜とは別に、現代にも流れ込んでいるように思う。芭蕉の直情は、次第に、間接的になっていき、その分、深みが増してくるように思える。

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