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Pascal 『Pensées』を読む(17)


■7月14日、土曜日、、盆迎え火

(写真)朝五時の鱗雲:天心は秋か

昼寝というか、朝寝してしまった。明日、実家へ墓参りに帰るので、その用意など。久しぶりに、庭で花火をする予定。花火は、江戸時代から、秋の季語のようだ。確かに、8月に入ってからの方が、趣がある。季語に「昼花火」というのもあるが、いったい、どんなものなのだろう。興味深い。



Peu de chose nous console parce que peu de chose nous afflige.

わずかのことがわれわれの慰めになる。わずかのことがわれわれを深く悲しませるのだから。

■悲しみの渦中にいるときは、その悲しみは、peu de chose(わずかのこと)とは思えない。そう思えるのは、悲しみから時間が経った後である。渦中で、わずかのことが慰めになるかどうかは、ケースバイケースとしか言いようがない。ただ、今日の雲の色や花の香といったささやかな事物が、日常を構成しているのは確かだし、それを話題にできる人間の社会性が、consoler(慰めること)の本質にあるのだと思う。



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一日一句(197)






瓢箪ややがていとしき放者





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