goo

飴山實を読む(192)

■旧暦4月16日、土曜日、

(写真)利根川

今日も肌寒い一日だった。午前中に仕事を済ませて、午後は雑用。夕方、よく行く書店で落語のイベントがあるというので、出かける。演目は、「転失気」。始めて聴いたが、面白かった。柳家ほたるという若手が健闘。若いだけあって、小僧の珍念を演じるときは、いきいきしていた。その後、家族と合流して、買い物、食事。自転車を転がして帰ってきた。



かなぶんの命の果ては裏返り   「俳句α」平成十一年十二月・一月

■まったく言うことがない。見事な写生。俳句の写生は科学主義と結びついた方向に発展してきたが、本当は違うことが實を読むとよくわかる。科学主義的な写生では、対象は固定され、物象化され、退屈になるばかりで、それを補うかのように、解説でその新しさを称揚せざるを得なくなる。句としては、終わっていると思う。



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )