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飴山實を読む(179)

■旧暦3月25日、土曜日、

(写真)利根川

近所の浅間神社の森に藤が巻きつき、満開になった。緑の森からところどころ紫が覗いている。午後、ウォーキング。今年初めて、江戸川で葦切の声を聞いた。元気が良かった。

翻訳家の山岡洋一先生が、翻訳通信5月号で、出版翻訳のあるべき姿を論じられている。「結論をいうなら、出版の原点に戻るべきだと思う。出版で、というよりも執筆で、生活ができるほどの収入が得られるというのは、比較的新しい現象だ。もともと執筆も、その一つである翻訳も、収入を得るためのものではなかった。文化活動であって、世の中に必要だと思う点、世の中に残しておきたい点を書くことだけが目的だった。収入が得られたとしても、それは副次的な結果であって、目的ではありえない。だから、執筆者、翻訳者は他の手段で収入を得て、暇な時間を執筆や翻訳にあてる。

この原点に戻って、収入を目的にしないのであれば、翻訳者は思いきり自由になれる。自分が是非とも行いたいと思う翻訳に、ほんとうに役立つはずだと確信できる本の翻訳に時間をかけて取り組めばいい。あふれる情熱をもって、寝食を忘れて取り組める翻訳、自分はこの本を訳すために生まれてきたのだと実感できる翻訳に取り組めばいい。」(同通信p.3)

非常に共感できる内容だった。ぼくは、まだ、出版の実績がさほどないけれど、すべて自主企画本であり、その際のテキスト選定基準は、何らかの意味で絶望を切り開く力を持っている本、というものだった。どっと売れる本じゃないが、それぞれには、愛着がある。

著者が日本語で書き下したとしたら、どんな日本語を書いたか、想像してみよ。訳文はすべて朗読してみよ。言葉の意味は、多くの用例の検討から導き出せ。など、10年以上も前に一度、ご指導をいただいたが、山岡先生の考え方は、今もぼくの指針である。

先生は、4月にケインズの『説得論集』を上梓されたが、翻訳通信でも少し触れている。この本を訳されたのは、デフレについて、考えるヒントを与えてくれるからという。実にタイムリーな企画ではないだろうか。この本は、ケインズの時評集を編んだものだが、その中に、「自由放任の終わり」(THE END OF LAISSEZ-FAIRE)という実に興味深い論文もある。じっくり読んでみたいと思っている。

執筆・翻訳は、いろいろな意味で重要な仕事なのだから、今のような時代こそ、国家の経済支援があってもいいように思う。ドイツでは、確か、作家への援助制度があると聞く。しかし、機密費のような黒い金じゃないにしても、国家から金をもらうと、思考の自由が規制される側面は、まったくゼロではないだろうと思う。他国の制度運用と思想の自由の関係が知りたいものである。



捻花に空あるばかり咲きのぼる   「俳句」平成九年十一月

■この句はどこを取っても、自分には、出てこないフレーズだなと思って惹かれた。まず、「咲きのぼる」は、言われてみれば、そのとおりだが、普通、思いつかないだろう。「空あるばかり」という措辞にはもっと驚いた。「咲きのぼる」と呼応しあって、花の動きが見えるようだ。広大な空と花の原が見えてくる。
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鹿島紀行(1)



根本寺(芭蕉の禅の師匠、仏頂和尚の寺)正面:茨城県鹿島市

連休は、もっぱら腰の休養にあてたのだが、一日だけ、鹿島神宮へ行ってきた。芭蕉ゆかりの根本寺にも参詣することができた。鹿島神宮は、芭蕉の「鹿島紀行」を読んでから、気になっていた場所で、ここから2時間くらいで行ける。行こう、行こうと思ってから、はや3年が過ぎていた。


根本寺全景

根本寺の裏山は、芭蕉の時代と同じように竹林で覆われていた。


寺に寝てまこと顔なる月見かな(芭蕉)の石碑

仏頂和尚は、深川の芭蕉庵の近くの臨川寺に住み、芭蕉と深い交わりがあった。もともと、常陸の根本寺の住職だったが、鹿島神宮との領地に関する訴訟で江戸に出てきていた。九年に及ぶ訴訟に勝訴し、常陸に帰った後、芭蕉に月見を誘ったのだった。


根本寺裏山の竹林と芭蕉

隣接した畑には牡丹が栽培され、竹林の前で芭蕉が立ち枯れていた。芭蕉に同行した曽良はこんな句を残している。雨に寝て竹起きかへるつきみかな

この日、雨で月見はかなわなかったが、芭蕉は、こんな句を残している。月はやし梢は雨を持ちながらこの句、「持ちながら」を「待ちながら」と長く誤読していた。いやはや。


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