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飴山實を読む(151)

■旧暦1月23日、月曜日、

(写真)無題

今日は、これから胃がん検診。バリウムが憂鬱だな。iPad、ますます眼が悪くなりそう。PCや携帯も含めて、モニターに向かう時間が長くなると、新しい病気が出てきてもおかしくない。iPadが標準になると、利便性も高くなるだろうが、iPadに載らない文学・芸術に俄然興味が行く。たとえば、劇とか、朗読とか、身体表現が前提で、かつ、その場に行かないと、アウラに触れることができないもの。こういう情報化に載らないものの価値が際立ってくるんじゃないだろうか。




ふるまひや火宅といへど餅の花
   句集未収録

■こういうところに實の現実感覚を感じる。ただ、おめでたい俳句を作っていた人ではなく、もともと、社会性俳句から出発し、現存の社会関係を何らかの意味で「問題」と感じる感性を最後まで維持していたのではないか、と思える。イデオロギーやアジテーションを前面に出した句は、人の心に染み透っていかない。ゴダールが言うように、すべてが政治なのだとすれば、實の俳句は洗練された政治性を備えているとも言えるのではなかろうか。



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