goo

往還日誌(202)





■9月1日、日曜日、曇り、夜に雨。

午前中、ヘーゲルの『精神現象学』を原書で読む会。

科学主義について、議論となる。

科学主義者と科学について議論するのは難しい。科学主義の眼鏡をは外すことができないのが科学主義者だが、このため、共通の知的領域を持つことが難しくなる。

科学基礎論は、テーマ化すべきだと、改めて思った。

午后、免疫学者で科学哲学者の矢倉さんのサイファイカフェで、11月に報告する演題と要旨を送る。

要旨を書きながら、ようやく、何を報告すべきか方向性が見えてきた。演題は、「TB-LB Theory 2.0」とした。

その後、ニコの仕事に入る。難航する。

空腹を覚えて、ライオンキッチンへ。

久しぶりに、柳月堂へ。

この季節、何を聴くべきか、リクエストに困っていたら、エリ・アメリンクのシューマン歌曲集がかかった。

初秋の、例年以上に暑い、この季節によく合った。

フレスコでトマトとキウイを買って帰宅。

ふたたびニコの仕事に入る。

夜、雨が音を立てて降っている。

きょうは、9月1日なので、

私の詩集『二〇の物と五つの場の言葉』から「ウトロ、あるいは燃える鳥」を掲げたい。


ウトロ、あるいは燃える鳥


あれはオモニであつたか、花であつたか、花であつたか、オモニで
あつたか――焼け跡でオモニが花を摘んでゐる――その指先に百年
の時が集まつてくる――一九二三年と二〇二三年の――

空が燃えてゐる――鳥が燃えてゐる――ウトロが燃えてゐる――赤
い火と黒い煙の(百年の殺意が立ち上がつてくる――九月の地震直
後の殺意が、東に西に立ち上がつてくる――青年はウトロに火を放
つた――その鈍色の時の中へ(殺意、悲鳴、歴史――「私」が散ら
ばつてゐる―(解体する「私」――

(放火の日本人青年を「あの子」と呼ぶウトロ――「あの子」は作ら
れる、「私」が作られたように)――百年前、「私」は「あの子」だ
つた。百年、殺されて聲また聲――百年、生きのびて聲また聲――
裏返すと、降つてくるもの――ちぢに、ちぢに、

言葉――ほかには、何ももたずに――言葉に所有されて――ウトロ
に降り立つ(わが身ひとつの秋――オモニは目をまるくして、私を
見つめた。私は意味のない言葉をしゃべり続ける――虚言として時
に。

燃え残つた庭の空――鳥は消えて、また、現れる――時の翳として、
時のひかりとして――聲はウトロの空に満ち、オモニは虚な「私」
に微笑む――(花であつたか、オモニであつたか、――空の鳥は消
えて、また、空に現れる――降るひかり、わが身ひとつで生まればや――。


※ウトロという地名は、宇土口の誤読から生じた。ウトロは、戦時中、京都飛
行場建設のため、宇治に集められた朝鮮人労働者の反場を起源とする朝鮮人集落である。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一句(5344)






颱風の前の静けさ珈琲店







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )