verse, prose, and translation
Delfini Workshop
琉球と沖縄:沖縄の文学(4)

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島桜咲くがはなむけ出郷す
触覚の力で蟻は焦土這ふ
草蝉や島の十万鎮もれり
機高鳴る合掌ほどく福木の葉
斑猫や島には島の詩の系譜
矢野野暮(1907-1990)大分県生まれ。戦後、沖縄で数田雨篠らと句会「みなみ吟社」を結成。伝統俳句の立場から風土性を掘り下げることを提唱し、戦後の沖縄俳句界の支柱として活躍した。編著に『沖縄現代俳句集-タイムス俳壇十二年』がある。
■野暮さんの方向性は、共感できる。俳句の良いところを活かしつつ風土性を深めている様子が伝わってくる。島に生きる誇りと哀しみ、怒りが、声高ではないだけに、余計に響いてくる。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(3)


今日は、朝から、仕事に入る。心はまだ島にあるが、気分的にすっきりしたせいか、仕事が進む。午後から、カイロに行く。
沖縄の屋根瓦は首里城に代表されるように赤い(写真)。この赤の由来には諸説ある。昔は板葺きの屋根だったものを、防水加工するために動物の血を塗っていたことから、瓦も赤くするようになったという説。琉球王国の国王は、中華帝国の皇帝から、国王に指名されるという形で就任していた。そのため、琉球のバックには強大な中国が控えていた。その中国で、赤は、高貴な色だったところから、中国文明の影響を受けた琉球でも赤い瓦を用いるようになったという説。でも、ぼくが、琉球焼きのプロ陶芸家に聴いたところでは、秘密はその素材の土にあるようだ。沖縄の島は、珊瑚の堆積からなっており、沖縄で取れる土を使って焼き物を焼くと、赤くなる。これが、ベースになって、中国の価値観と結びつき、いっそう赤くしたのではないだろうか。琉球焼きは、確かに赤いけれど、首里城などの屋根瓦ほど鮮烈な赤ではないからだ。
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大蛍海のほてりをほぐし飛ぶ
破れ芭蕉星ふるわして巻葉解く
義足のきしみ夜半も曳きずりきりぎりす
枯れ音を一途に抱き冬の蜘蛛
製糖期の日がどつしりと村つつむ
遠藤石村(1907~1977)糸満市生まれ。写実的ロマンチシズムを提唱し、有季定型の立場から後進の育成と沖縄の俳句界の発展に尽くした(出典『同書』)。
■ぼくは、帰ってきて思ったのだが、沖縄は、広島・長崎、北海道とともに、現代日本の歌枕になるべき土地だと。石村の句は、すんなり季節感が響いてきた。沖縄は、12月まで泳げるというが、そこには、微妙な季節の変化があるに違いないし、そうした微妙な変化こそ、俳句で詠むべき対象なんだと思う。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(2)


沖縄本島は、西海岸からビーチとして開けてきた。南東の風が吹くので、東海岸は荒れていても西海岸は穏やかな場合が多いからだ。山に多く生えている琉球松などの樹木も風のせいで、西に傾いている。このため、東海岸は、西に比べ、開発が遅れた分だけ、水質はきれいだと言われてきた(写真)。だが、それでも、20年前を知る人に言わせると、本島はもう相当に汚れてしまっているという。ぼくなどは、関東と関西の海しか知らないので、始めてみた沖縄の海の色には感動した。その海は、意外に冷たくて新鮮な果実に触れたような気がした。しかし、「資本」という奴は、どこにでも食い込んできて、人間の欲望を限りなく増殖させて、貧困を作り続けながら、地球を食い物にしていきますな。このシステムの暴走は止められないのか。いや、どうしたら止められるのだろうか。
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しんしんと肺碧きまで海の旅
泣きじゃくる赤ん坊薊の花になれ
蟻よバラを登りつめても陽が遠い
荒波に這へる島なり鷹渡る
瞳にいたき光を踏みて働ける
篠原鳳作(1906-1936)鹿児島県生まれ。昭和十年代、「新興俳句運動」を推進した。「花鳥諷詠」に対し、「機械諷詠」「詩魂高翔」を主張し、無季俳句の理論と実作の旗手として俳誌「天の川」を舞台に活躍。1931年から3年半、旧制宮古島中学校で公民・英語の教師を勤めた。(出典『高校生のための副読本/近代・現代 沖縄の文学』)
■昔は飛行機がなく、船の旅だったから、島に至るまでは、海の細道を通らねばならなかった。その細道は、鳳作が描き出したように、まことに青かったのだろう。沖縄には、伝統系の俳人が少ない気がする。一つには、沖縄の抱える現代史的側面(戦争、基地、貧困)に、5・7・5の伝統系では、うまく拮抗できないという考え方があるのかもしれない(ぼくは、拮抗できると思うのだが)。むしろそれ以上に、自然が雄大で季節が本土の概念とは異なることも大きい気がする。沖縄の人は、今の季節、「通り雨」が多いというけれど、熱帯性のスコールとしか思えない。明るくて、気持ちのいい雨だからだ。
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琉球と沖縄:沖縄の文学(1)


昨日、帰宅した。呆然としている。沖縄に圧倒されて、ただ、呆然。今も、窓の外は、エメラルドグリーンの海があるような気がするし、出会った人々の声が聞こえてくる気がする。水道水は、若干粘り気のある島の水のような気がしてくるし、空には雲の峰よりもスケールの巨大な立ち雲があるような気がしてくる(写真)。
今日は、そういうわけで、一日、ぼーっとすごす。滞在中に那覇の書店に注文していた琉球の歴史関連の本が3冊、早速届いた。少し、琉球・沖縄関連の資料も集まってきたので、徐々に紹介していきたいと思っている。
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沖縄の牧志公設市場の中に、色とりどりの魚やこんぶ、島らっきょうなどの中に埋もれるようにして、日本一小さな古本屋がある。その古本屋で買った、『高校生のための副読本 沖縄の文学/近代・現代』は、沖縄の詩や俳句、短歌や散文が、バランスよく紹介されている。その中から、まず俳句を紹介してみたい。
烈風に敗戦ニュース乗せてくる
芋の葉を喰って生きよと蝉鳴けり
朝の冷水を飲むユウナの花が暗い
みんな出てゆく一人淋しい冬の太陽
かすかな音立てて焚火燃え終わる私も寝よう
比嘉 時君洞(1884-1960)那覇市生まれ。沖縄における自由律俳句の草分けとして活躍。始めは伝統俳句を作っていたが、大正末期より昭和初期にかけて新傾向俳句を学び、自由律俳句を作り「石くびり句会」立ち上げた。その後、第二次大戦の戦争経験を経て、戦後の心身の飢えを吐露した作品を残した(『同書』解説から)。
■自由律だが、季節感を大事にしているような印象を受けた。いつの作品か、判然としないが、心身の飢えは確かに感じられる。今の牧志公設市場の圧倒的な豊かさを目の当たりにし、雄大な自然を体感すると、沖縄で詠まれたのではないようにも感じられてくる。戦争中や戦後の沖縄の状況を具体的に知りたいように思った。
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