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塩の行進







■きのうは、公開講座の第9回だった。大成功に終わった。DDDという考え方を始めて提起した。今後は、DDDを社会空間論としてTB-LB theoryに組み込み、さらに操作論を統合していくことを目指す。具体的な問題との往還でこの作業を行う予定。今回の発表で、ニコライ・ハルトマンの自然を存在論的に扱う、その扱い方が重要であることが理解できた。この扱い方には、TB-LB theoryの欠陥を補うヒントがある。きょうは、きのうレンタルしたプロジェクターを置き忘れたので、その対応や公開講座関係で各方面に連絡など。夕方、春雨の中を散歩。ロッテリアでモカ珈琲を飲みつつガンディーの『獄中からの手紙』を読む。「塩の行進」のアイディアは、現在でも、抗議行動に活かせるアクチュアルなものがあると思った。





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ポンポンマム





■朝、新作詩「香Ⅰ」および「香Ⅱ」に手を入れてほぼ完成させる。スマホで朗読を入れてSNSにアップする。だいたいできたと思うが、あとは、少し寝かせておく。ガンディーの『獄中からの手紙』の第1章 真理を読む。しばらく前から、仕事の合間に読んでいる。この人の考えた暴力に対抗する思想に関心がある。午後、掃除。ゴミ出し。夕方から、六本木の仕事を深夜まで。一区切りつけた。夜、ポンポンマムを挿していた一輪挿しが話しかけてくるので、次の詩作のテーマとすることにした。





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一日一句(2364)







一切がなりゆきとなる冬ごもり






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二つのプロジェクトとZur Ontologie des gesellschaftlichen Seins







■きょうは起きたら、雨だった。クルマの屋根などに雪が残っていた。終日、非常に冷たい雨だった。公開講座『ルカーチの存在論』30周年の4月のキックオフ講演会の講演者に、イラン人哲学者、バフマン・ザギプール博士にお越しいただくことになった。これで、キックオフ講演会のチラシ作成と30周年プログラムのポスターの作成に入ることができる。新詩誌esの原稿の詳細規定の参考になる資料を詩人のA氏よりいただく。これで、実務的な大枠の部分はほとんどできてきた。後は、2月の「午後2時の会」で原稿と頁数の分担を調節することになる。二つのプロジェクトが順調に動き出した。終日、六本木の仕事を行う。寝る前の少しの時間をZur Ontologie des gesellschaftlichen Seinsの翻訳にあてる。こちらも、月末が締め切りなので、集中力が問われる。





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知識と教育






■9時起床。空気の入れ替えをして、ウバ茶を飲む。empowerment、ウェブチェック。その後、ニコの仕事に入る。きのう、寝る前に『徒然草』第191段と第192段を読んで、当時の夜の深さ美しさを感じて非常に印象的だった。今朝もウバ茶を飲みながら読んだ。朝食後夕方まで走り、途中いくつか俳句を作り、ニコに一段落つけて、軽く昼食を食べてから、夕食に野菜そぼろビビンバを作る。その後もニコの仕事を行い、一段落つけて、今月分の報告メールをニコに書く。知識や教育が民主主義の強化に重要なことは論を俟たない。しかし、知識と教育こそ、操作に対してもっとも脆弱な社会領域である。それだけ、社会の核心的な領域とも言える。だからこそ、「国家利権村」はやっきになって、この二つの支配権を維持しようとするのである。ニコは「knowledgeability」という新しい概念を提示して、知識と行動を一体的に捉え民主主義の強化に役立てようとしている。この点は賛成できる。しかし、知識というのはすでにシステムの操作を受けたものである。「knowledgeability」が正しく行使され民主主義が健全に機能するには「a theory of manipulation」が必須である。そんなことを書いた。「a theory of manipulation」については、現在思索を重ね、原発体制や死刑制度などの構造的な悪の分析に適用する段階に至っている。








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パラパラ






■きのう、メールで依頼があった案件の中の言葉「address」の意味が気になって7時半に飛び起きる。この場合の「address」は日本語では「向き合う」がもっとも近い意味だという結論に達し、きのうのメールを修正してふたたびメールする。俳句を複数作る。ニコの仕事に入る。公開講座の4月の講演者として、イラン人の比較宗教哲学者B氏に依頼のメールを書く。10時半、エホバの証人のおばさんが来訪。即、断る。話の途中でドアを閉めると「あら!」と言う。プレゼンテーションのためにipadを持参していた。洗濯物を干す。ニコの仕事の途中、わからない箇所にたびたび 逢着し、そのたびに、藤原正彦著『遥かなるケンブリッジ』をパラパラ読む。イギリス人のコミュニケーション・パターンを「客体との距離」という概念で一般化し、アメリカ人のそれと対比している。なかなか興味深い比較文化論を含んでいる。遅い朝食後、散歩。西口公園から寿広場へ。途中、東口のロッテリアでモカ珈琲のテイクアウトをして寿広場で飲む。ぼんやりする。俳句を考える。帰宅途中、歩きながら措辞の変更を思いつく。ベターというよりマストの変更だった。帰宅後、だんだん、調子が出てきたのでふたたびニコの仕事。翻訳しながら、コメントを複数付箋に書いて貼る。遅い昼食を食べて一休みして、夕方から、六本木の仕事に入る。夕食を挟んで深夜まで。途中、家事をしながら俳句が複数出来上がる。





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マルサスと論文の朗読






■きょうは、暖かい一日だった。午前中、めずらしく腹痛。午後、洗濯して掃除。その後、ニコの仕事に入る。昨夜は、なぜか眠れず、ケインズ全集第10巻人物評伝の中のマルサスの項を読む。非常に面白い伝記でマルサスの父親とルソーの交友なども詳細に語られ興味が尽きない。マルサスもケンブリッジ出身でケンブリッジ大学という欧州の知的中心の一つの雰囲気がよく書き表されている。ケインズのマルサス評価は非常に高い。この比較的長いマルサスの伝記をケインズはケンブリッジ大学の経済学クラブで機会あるごとに朗読したという。このクラブは、在学生の論文朗読クラブで、月曜日の夜にケインズの部屋で会合を持っていた。ケインズの時代、論文は朗読されるものだったというのに驚かされる。今なら、論文はパワーポイントでプレゼンテーションするか、そうでなければ、レジュメを作成して説明するもので、音として伝えられるものでは少なくともないだろう。この違いは、論文の内容にも影響するように思われる。論文を朗読する――面白い試みだと思う。






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銀色のハサミ







■きょうは、不思議な夢を二回連続で見た。公開講座のT氏が二度とも出てくる。ひとつは、T氏の導きで古いビル内の迷路を通り抜けて早朝のひと気のない大通りへ出る夢。もうひとつは、その続きで、バスの旅に出る夢。旅の準備がどうしてもできなかった。T氏の準備はできていた。予知夢ならT氏は30周年のどこかで旅立つはずである。掃除をして寿広場でウォーキングと筋トレ。ダンス部の少女たちが4グループほどに分かれて、それぞれ、音楽にあわせてダンスの練習をしていた。帰りに、丸善に寄って『驚異の量子コンピューター』と『きつねのライネケ』を受け取る。マックで珈琲を飲んで俳句を考えるが出てこない。キャンペーンでMサイズが100円だった。その後、「11cut」で散髪。受付をしてくれた愛くるしい若い女性の美容師さんの手がはっとするほど汚れていた。髪を染める黒い染料が指や手の皺に沁みついてしまっていた。だが、銀色のハサミを持った右手はとても美しかった。その子の愛くるしい笑顔がその子の生き方を語っている。帰宅して月末までの工程表を作る。夕方からニコの仕事に入る。





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寒紅梅と櫻の莟





■9時起床。寒晴。ウェブチェック、Mくんへ領収書を送付、そのまま、散歩。桶中横の民家の寒紅梅が咲いていた。寿広場でストレッチ。俳句をいくつか作る。公開講座関係で講演の依頼など。帰宅してニコの仕事に入る。午後は、大宮氷川神社へ、初詣。日本一長い参道を歩いて参道脇のジャズライブ喫茶、BISへ。チキンカレーを食す。美味しいのだが、辛すぎて旨みが味わえない。前回食べたオニオングラタンスープが絶品だったので、余計にそう感じたのかもしれない。店の窓際に櫻の莟が活けられていた。氷川神社で、御朱印帳を作った。境内には「令和」という漢字が激しく書かれた書が掲示されていた。元号は無用だが、この書には惹かれた。夕方、帰宅してふたたびニコの仕事。一段落つけて六本木の仕事を夕食を跨いで深夜まで。公開講座30周年のプログラムはすべて組むことができた。





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歴史とアイデンティティ






■きのうは、終日仕事をした後で、夕方から、高遠菜穂子さんのトークイベントに参加。講演の後、二つほど質問もしたが、詳しい内容はセキュリティーの関連で差し控えたい。感想としては、「歴史」というものを問い直す必要があるというもの。国家の歴史、すなわち、支配権力の歴史が歴史として通用してきたが、それでは歴史を見つめたことにならない。ぼくの概念で言えば「歴史的被害存在」の歴史にこそ歴史が宿っている。そういう仕事は地味ながら、これまでもいくつもある。そういう仕事に今後はもっと、注目して読むように努力したいと思った。もう一つは、アイデンティティという問題である。簡単に国家にアイデンティファイすることの危うさを突き付けられた気がした。歴史とアイデンティティ。この二つの問題は絡み合っている。いつか、深く検討してみたい。

きょうは、午前中は疲れて眠ってしまった。午後から秩父市出身のピアニスト、高橋望さんのリサイタルへ。ゴルトベルクを聴いてきた。ここ3年程、新年に高橋さんのゴルトベルクを聴くのが習慣になっている。夕方から、公開講座第8回へ三田まで。公開講座も来期で30周年になる。この年数は大変なことである。ファウンダーの石塚先生を失って今年の5月で丸6年になる。船は、船長を亡くしたが、6年も波の高い航海にもちこたえている。きょうは、原発問題で共同研究の提案があり、実にすばらしい30周年の航海に就くことができそうだ。





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