verse, prose, and translation
Delfini Workshop
Mouvement et Temps
2020-05-09 / 日記

■8時半起床。アッサムを淹れて朝食のメロンパンを食す。連作散文詩「Mouvement et Temps」 No.1の英語版を見直しして完成させる。その後、No.2の第一稿を作成。ロミーへメールの返信。ニコから社会科学論に関するエッセイをどこかの雑誌に紹介して欲しいとのメールがあったので、そのエッセイをひとわたり読む。彼のエッセイは、社会科学的な知識の使用法を、ケインズをモデルにして考察したこの5月に出る新著の紹介的な意味を持っている。前に引き受けた大著の方がまだできていないが、できれば、この新著も翻訳してみたいと思っている。非常にアクチュアルだからだ。自然科学的知識の使用法は、社会的に見て可視化されやすく評価と批判も、行われやすいが、社会科学的な知識は、経済学が経済政策という形で、使用されているのを確認できる程度で、なかなか可視化されにくい。社会科学的な知識は、社会的にすでに使用され実は深い影響を与えているにも関わらず、である。逆に言えば、社会科学は、我々の社会に「悪い影響」を与えている可能性もありえる。
朝食後、西口公園へ行く。いつものベンチでヴァージニア・ウルフの日記を読み、「Mouvement et Temps」 No.2の英語版を完成させる。しばらく、ストレッチや筋トレなどして帰宅。昼食後は、終日、Zur Ontologieの翻訳に専念。月曜日が締め切りなので、これに週末は専念する予定。
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DeepL
2020-05-06 / 日記

■きょうは曇りだった。8時ごろ起床。朝からZur Ontologieの翻訳に専念。翻訳原稿を作成するのは、ひとつの目的だが、それだけに集中すると、この豊かなテクストのimplicationを生かせないことに気がついて、途中から、翻訳する箇所のドイツ語をノートに全文書き写し、わからない箇所は、該当箇所の仏語訳と英語訳もあわせて書き写し、逐一検討している。さらに、語学上のコメントと内容上のコメントを書きだしていくことにした。なので、非常に時間がかかっている。それでもいいと思っている。思索上のヒントを得ることも大切な目的であるから。ただ、編集のN先生に迷惑をかけない程度には進める必要があるが。
一事が万事、この調子なので、ニコから、あまりにも仕事が遅すぎるという内容の、ウイットに富んだクレームが来て、ディープラーニングを使用した無料AI翻訳ソフトのDeepLを紹介された。DeepLは、2017年にドイツのケルンで設立されたDeepL社が提供している。3月に日本語にも対応した。ニコの仕事にはこれを使用してどんどん先に進めている。DeepLは翻訳を作業プロセスと思考プロセスに分解するので、作業プロセスだけ先に進めてしまうということである。
遅い朝食後ただちに買い物に行き、さらに、Zur Ontologieを進め、5時から鯛のワイン蒸を作る。あっという間にできたので、即、ニコの仕事に入る。一段落させて、夕食。料理は家族の評判も良かった。夜は、訳し始めたシモーヌ・ヴェイユの『時間について』というエッセイの最初の部分を、DeepLに翻訳させ、自分の訳文と対照させてみた。フランス語自体が古いせいか、日本語は全然良くない。構文の理解も英語のときよりも劣っているように思える。そこで、英語に翻訳させてみた。すると、非常に明晰に訳すので驚いた。日本語という言語の難しさなのだろうか。
DeepLでのドイツ語とフランス語の翻訳の使い方は、英訳させると参考として使える。英語の翻訳は今のところ、日本語もまあまあで、構文はほとんど間違いなく理解できている。全体的に見て、Googleのように、わけのわからないものはあまり出てこない。英訳は、詩についてしか試みていないが、それほどずれたものは出てこない。
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二分法の習慣
2020-05-04 / 日記

■8時前に起床、やや睡眠不足だが、体調はいい。ウェブチェックしながらアッサムを淹れる。ヴァージニア・ウルフの日記を少し読む。付箋にコメントを書き貼り付けながら読んでいる。1919年、ヴァージニア・ウルフ37歳のときの日記にこんなことが書いてある。「ひとりの人間が他の人間を支配することや、指導することや、意志を押し付けることなどが、私にはますますいやに思えてくる」。だが、同じ1919年の日記からは、ヴァージニアの家に召使が複数いたことがわかる。この辺が、ヴァージニアの階級的な限界なのかもしれない。時代的な制約も感じる。それは「精神」(原文はmindかspiritか、あるいは他の言葉か確認できていないが)、materialと対になった言葉として使用している。しかしこの「精神」という言葉をあまりに無警戒に使っている印象がある。今なら、この二項対立は、当時よりも鮮やかではないように感じる。また、この言葉は、カセット効果(わかった気にさせる効果、典型的には官僚の用いる漢語表現)のある言葉なので、ぼくなら、文脈から、もっと具体的な表現を使っただろうと思う。「どんなにストレーチたちの悪口を言ってみても、彼らの精神は最後まで喜びの源泉であることに変りはない。あんなにきらきらと輝く、明晰で、敏捷な精神」こうしてその文脈を書き出してみると、「精神」に代わる表現が非常に難しいことがわかる。言葉を変えるのではなく、この文章全体を変えなければならないだろう。場合によっては、文章の色彩が変わってしまうために、この日の文章全体を書き換える必要があるかもしれない。これはいったいなんだろうか? この「二分法の習慣」が、社会制度の水準まで組み込まれているということなんだろう。これを組み替えるのは、哲学と詩の仕事だと思う。
きょうは、終日、ルカーチのZur Ontology...の翻訳に専念した。きょうのところは、文章構造を理解するのに時間が非常にかかり、2パラグラフしか進まない。英語版とフランス語版をクロス参照しているが、言いたいことが明確につかめないもどかしさが残る。どちらの版も微妙にドイツ語原文を捉えそこなっている。そこで、DeepLの日本語訳を参考にしてみようと考えて、ドイツ語をタイプして翻訳させてみた。すると、打ち込んだドイツ語の半分しか訳せない。DeepLでは、このドイツ語を日本語にするのはお手上げらしい。そこで、英語とフランス語に翻訳させてみた。すると、スラスラ訳している。微妙に原文と違う点は残るが、構文の把握が、英仏語ともに同じで、人間が訳した英仏語では、構文の理解が異なっている箇所を、同じ強調構文で翻訳するなど、理解に整合性があることがわかった。これは参考になった。やはり、欧文同士の方が得意らしい。
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2日間の支え
2020-05-01 / 日記

■鼻洗浄をはじめて昨夜試みた。かなり調子が良く、今朝は5時に目が覚めた。就寝中の呼吸が楽だったことが分かるような目覚め方だった。朝の時間、昨夜夕食を作りながらスケッチした詩「春の木」を仕上げた。朗読を入れて、SNSに投稿、DeepLでワンラウンド行った英訳に手を入れて、英語版も完成させた。ずっと以前からそうだが、詩を書くと、2日くらい、心の深いところが支えられるような気持ちになる。俳句では、そうした達成感はない。もっとも、2日も経てば、新鮮な気分は失われる。この新作詩もCovid-19にインスパイアされたものである。連休中は、六本木の仕事は休んで、翻訳作業ふたつに専念する予定。
新作詩「春の木」ここから>>>
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詩的な記録
2020-04-30 / 日記

■Covid-19に対応して、詩的な記録をつけています。どのように、詩的な認識が変わってきたか、を記録しておくためです。はじめに書いた詩が、2月2日に書いた「パンデミック国家」です。「感染症に治療薬はない」といった、今から見ると間違ったフレーズもあります。アビガンやレムデシビル、ナファモスタッド(フサン)といった、別目的の治療薬がCovid-19に有効性があることが分かってきたからです。差別の問題や、憲法改正の問題、国家と製薬会社などの企業の癒着が起きることは、この段階でも、問題化していたことがわかります。
「パンデミック国家」ここから>>>
次に書いたのが、4月27日に書いた「歌うパンデミック」です。ロックダウンや自粛で人間がいなくなった世界を、人間の歴史がいずれ終焉することの兆しと感受して書きました。その「歴史が終わった世界」から今を見つめると、人間社会の権力や所有といった当然とされている社会的存在に根拠がないことがよく見えてくるという詩です。この詩を読んだスイスの詩人、ロミー・リーは、中国・唐代に浙江省の天台山の国清寺にいたとされる風狂僧、寒山の聲を思い出させると感想を述べています。寒山は寒山拾得の寒山で、詩人でした。彼が書いたとされる詩が『寒山子詩』です。これは英訳されて本になっています。ロミーは寒山の詩と同じ「永遠の歌」が、この詩にあると述べてくれました。
「歌うパンデミック」ここから>>>
今後も、Covid-19に関して詩的な記録をつけていく予定です。
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真実
2020-03-19 / 日記

■直前までPC作業していたので能が興奮してきのうはよく眠れず、調子の悪い一日だった。天気が良かったので朝食後蒲団を干して外出。丸善で『感染症と文明』を注文して、文春を買おうとしたが、きのう飛ぶように売れてしまったという。近畿財務局の元職員で文書改竄に関与させられて亡くなった赤木俊夫さんの手記が掲載されているからだ。駅前のコンビニに置いてあったので、新聞と一緒に求めた。これを読んで、腹の立たない人間は、赤木さんを殺した加害者以外にはいないのではないか。加害者とは、当然のことながら、安倍総理、私人という安倍昭恵氏、麻生財務相、佐川理財局長、財務省、検察だろう。この人たちが殺したも同然だと思う。文春の記事からわかるのは、赤木さんという方が、豊かな人間だったということである。所有物が多くあるという意味ではなく、人間が豊かだったという意味である。ぼくにはそう感じられた。それだけに、加害者には許しがたい感情が湧いてくる。赤木夫人は、佐川氏と国を提訴した。コロナの給付金で騙されずに真実は一つである点を強調し、この裁判に注目したい。
3月9日までに医師が求めたPCR検査は5520件もあるのに対して、検査を実施した件数は僅かに251件だけで、検査の実施率は全体の4.5%だったことが、野党の質問から国会へ提出された資料でわかった。
※医師が要望したPCR検査、9割以上を拒否!国会審議の資料に記載 医師の要望で行ったウイルス検査は4.5%のみ(情報速報ドットコム、2020年3月17日)
現在の厚労省の正式のスタンスは「封じ込めをめざしたピークカット」戦略だが、現実問題として、これだけ検査が行われていないと、このスタンスはポーズになり、実際には国民の大半を感染させて免疫を獲得させる「集団免疫」戦略に近いことをしていることになる。行動規制は、封じ込めには効果があるが、長期間の行動規制はかけられないから、気がついたら、国民の7割が集団感染していた、ということで終息するのではないか。そのときには、感染者数も死者数も現実を反映しているわけではないから、シリアスな現実の検証はできなくなる。それを目的にしているとは思えないが、結果的にそうなってしまう可能性があるのではなかろうか。
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ミヘルスとルカーチと民衆
2020-02-26 / 日記

■きのう早く寝たので5時半に起きた。いつもこのパターンだといいのだが、夜早く寝られるときばかりではない。ウェブチェックしてから、朝食前に、ニコを進める。ちょうど、ロベルト・ミヘルスのところを翻訳していて、ミヘルスの経験が、ルカーチにそっくりなことに気がついた。ミヘルスは革命運動や労働運動に失望して、エリート論の先駆者となり、ルカーチは革命に失敗して、プロレタリアートの意識の研究に入る。このふたりを合わせ鏡のように読むと、大変示唆的なものがあると予感した。ミヘルスのエリート論は、自分の経験から来ているが、ルカーチの気がついていた操作論という視点がないので、民衆は無能だという直線的な結論へ向かう。また、民衆が持っている深い叡智をミヘルスは理解していない。たしかに、民衆は、ミヘルスに言うように、政治生活では無能な面もあるが、たとえば、放射能やコロナウィルスへの直感的な危機意識や、民俗学や民話に示される無意識の深さと広がりへの弁証法的なまなざしがミヘルスには欠けている。その後、朝10時から六本木の仕事に入り、終日集中する。夜も六本木の仕事に従事。まだ終わらない。
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辻と橋
2020-02-24 / 日記

■午前中、洗濯してから、寿広場へ散歩に。きょうは春麗の天候で気分が良かった。ストレッチを行ってから、春の草花の仏の座を一輪摘む。その後、ロッテリアで珈琲を飲みつつ、宮田登著『妖怪の民俗学』を大変面白く読む。辻と橋という空間に関心がある。特に、「辻神」という信仰に関心があり調べている。ここ桶川にも、辻に御幣を設置する風習があり、設置した稲荷神社に聞くと、御幣は神が降りる場所だと言う。辻に設置するのは、交通安全の祈願だと言う。辻という空間は、橋とならんで、特別な意味のある社会空間のようなのだ。民俗学は、民衆の無意識の領域を学問的に扱っており、欧州由来の学問では見えない部分を照射していると感じている。つまり、民衆の無意識も含んだ社会空間論として民俗学を読み替えることができるだろうと踏んでいる。シモーヌ・ヴェイユも、最晩年の手紙で、民話への強い関心を示していた。それは恐らくは、民衆の潜在意識や無意識領域の重要性に着眼したものと思う。午後、詩人のA氏からK出版のパンフレットを二冊受け取る。これで、詩誌esの実務的な部分がさらに一歩進んだ。帰宅後、Zur Ontologie...の翻訳に入る。寿広場で摘んでロッテリアで頼んだ水の中に差しておいた仏の座を一輪挿しに移す。夕方、買い物に出かけ夕食を作る。真鯛のホイル焼きなど。鹿児島のそらまめが非常に美味だった。蕗の薹や菜の花と並んで、そらまめは、食べると春を実感する。夜も、まだ、Zur Ontologie...の翻訳を行う。きょうは、深夜まで粘る予定。
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40
2020-02-22 / 日記

■ブランチ後、上尾の井戸木方面を歩く。畑に植えられた白梅の老木がほぼ満開だった。歩いているうちに、徐々に、天心の雲の流れが速くなり、春の嵐を予感させた。帰宅後、Zur Ontologie...の翻訳を行う。ドイツ語の原文を読みつつ一度訳出してみて、構文理解や代名詞の取り方、解釈などが正しいかどうかを英語版とフランス語版にあたって確認しながら進めているので時間がかかる。それでも、段々、調子が出てきた。六本木の長くかかった仕事を、きょうは最終的に決着させることができた。フランス人の英語を聴き解くという仕事はいい勉強になった。せっかくなので、聴き解く力を維持するために、たまたま、手元にあった米国の黒人詩人、Yusef Komunyakaaの詩を何篇か聴き解いてみることにした。きょうは、40という数について、不思議な経験をした。40が明けたとき、それは四十雀という40にまつわる鳥の啼き聲ととともに明けた。この40の経験によって、今後の生き方の方向性が確実に定まった。
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