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「堂々巡り」の議論

2006年01月29日 18時13分05秒 | 社会全般
議論や何かの決定の際に起こることがある。それは堂々巡りというやつだ。昨年の小泉さんとロボ岡田くん(そういえば最近見ないね、どうしているのかな?)の間で起こった議論もそうだった。「Aを認めるならば、テーブルにつこう」「テーブルにつかなければ、Aは認められない」という状態になったら、双方どちらも譲歩しなければ、永遠に続くことになるのですね(笑)。多くの事柄で、こうしたことが続く場合には、何も問題解決には繋がらないのですね。


また例で考えてみます。

今、腹を空かせた子供が目の前にいるとしよう。この子の欲求を満たしてあげる必要があるのですが、その時にどうやって空腹を満たしてあげるか、という問題があるとします。ちょっと変ですが、論者Aの主張は「安全が確認されている食品だけで作り、スローフードがいい」というものだとします。一方、もう1人の論者Bは、「とりあえず空腹なのだから、多少なりともそれを軽減した後で、じっくりといいモノを食べさせればよい。だから、今はインスタントでも、ファーストフードでもいい」という主張だとします。


この論者A、Bは、議論を続けますが、一向に解決の気配がありません。Aは「絶対にファーストフードはダメだ」と言って譲りません。しかも「添加物のない安全食品じゃないと、子供の健康に被害があっては困る」と言うのです。確かにそうですね。安全な食品がいいに決まっています。Bは「目の前にファーストフードの店もあるし、今持ってるインスタント食品もあるのだから、それをとりあえず食べさせたっていいじゃないか」と言います。子供の空腹問題は、全く解決しません。延々と議論が続けられるだけだからです(笑)。腹が減るばかりで、子供にとっては、A、Bのどちらが正しくても、どうだっていいのです。結論的に言うと「何でもいいから、早く空腹を改善してくれ」と思っているのです。

ですが、AもBもそんなことはおかまいなしに、自分の正当性とか主張の証明を試みており、相手を説得するまでその努力を続けているのです。その時間と労力があれば、もっと他に解決手段がありそうなのですが(笑)、何故か「どちらの意見が正しいか」を巡って議論を続けるのです。

Aは言います。「子供の親はうるさいし、安全でないものなど食べさせられない」
Bも反論します。「仕方がないじゃないか。ちゃんと説明すればよい。それに、ファーストフードは他の人達も食べてるし、安全でないなんてことはないよ」
A「じゃあ、万が一、何かあったら君が責任を取れるのか」
B「それは無理だけど、選択肢が限られているのだから、今出来ることをやった方がいい」
A「そんないい加減な方法は選択出来ない。安全確認が先決で、害があるなら、かえってマイナスだ」
B「だから、他の人達も食べてるじゃないか。それでいいじゃないか」
A「他の人と、この子は体質も違うし、安全かどうかは判らない」
B「食べられるものを先に食べて何が悪い」
A「だから、それが間違ってるんだよ。害になった時にはマイナスの方が大きい」
B「そうだけど、その確率は少ないと思うよ」
A「今慌てて食べるよりも、きちんとした食べ物を手に入れて調理するべきだ」
・・・・・・

要するに無限に続く訳です。しかし、子供の空腹は続いていくのです。何も解決されないのです。両者の言い分には一理あると思いますし、それぞれに正しい部分もあるでしょう。ただ、ここで最も大きな問題となるのは、正しさが証明出来るか、どちらかが根負けして諦める頃には、子供の空腹が限界に達してしまうことでしょう(笑)。栄養失調とか低血糖で生命の危機に陥ってしまったら、何の意味もないのです。或いは、あまりの空腹に耐えかねて、近所の柿の木から柿を盗み食いしてしまうかもしれません。そういう結果となってしまうなら、何の為に議論しているのでしょうか?AかBの主義・主張の正しさを証明することが、どのような意味を持ちますか?


現実世界でこういったことが起こるとも言えませんが、政治的な問題などを見るに、このような傾向が強いのではないかと思います。実質的な「問題の解決」ということに無頓着というか、子供の空腹には目もくれず、自己の主張の正しさを証明することに全精力を注いでいるのですね。いつまで経っても子供の腹が減ったままですので、いずれ子供の不満も爆発するかもしれませんね(笑)。


次の資料を見ると、既に7年くらい前に、現在と同じような話を検討している訳ですね。

経済企画庁物価局


当時の問題意識と現在では何も変わっていないのですよ。委員会のメンバーを見ると、私が知ることとなった人達が何人かいます。岩田副総裁、大竹、小塩、玄田各助教授、須田審議委員、高橋統括官ですね。少なくとも一度は拙ブログ記事に御登場頂いた方々です(少し意外に思ったのは、各助教授は「経済」担当ということなのですかね?社会学とか(?)ではないんですね)。こういう人達は、何度も集まって、同じような内容の議論を繰り返してきたのです(笑)。そして、そこから一歩も前進していない。今までの時間とは一体何だったのか?これまでの議論の蓄積は、何を生んできましたか?


腹を空かせた子供(=国民)を放置し続けた結果、この数年後には最悪期を迎えることとなってしまいました。一体全体、何をやっていたのか?日銀にしても、大蔵との綱引きなのか、政治的影響力を嫌ったのか、何だか判りませんが、何一つ知見を利用した有効な手を打つことなく放置してきたのですよ(ああ、量的緩和はやったね)。政治的にも同じです。問題意識は当時と大きな違いなどなくて、こうした議論を政治の現場に活かせる方法を探す訳でもなく、無為に時間を消費しただけでした。政治そのものが、何の役にも立たなかったということです。腹が減りすぎた子供は、結局自分で何かの食べ物を見つけてきて、自分で手当てしたに過ぎないのです。


議論が延々と続いた割には、結局「無策」ということで終わり、しかも、現時点でも決まった解決策は提示されず、どの主張が正しいのかについても未だに結論が得られていない訳です(笑)。こうした議論の進め方は、全く愚かとしか思えない面がありますね。正当性を中々確かめられない主義・主張で、それぞれが自己の意見を決して曲げたり出来ず、相手の意見を受け入れられないのであれば、特別な解決方法を探す以外にないと思いますけどね。空腹の子供には、限界に達する前に何とか食べさせて、その後から変更することも可能なはずですし。「腹が空いてる子供を何とか助けるしかない、その全責任は私が取る」という決意というか、決断力というか、そういうものが誰にも無かったのではありませんか?誰一人、責任を取る、という決意を持つ人が出てこなかった訳です。政府にも、日銀にも。政治的無力というのは、このようにして無駄に時間を浪費してしまうのです。


そして、暫く時間が経つと再び同じような議論が再開されるのです。「フリダシに戻る」という、双六の恐怖を味わうみたいなものですね。そのうち福井総裁のように、「ああ、またか」と感じてウンザリすることもあるかもしれませんね。「ですから、その問題はですね、何度も前から言っている通り・・・」といつか来た道を同じように進み、同じ説明を初めっからしなおす訳です。諮問会議の中でも、何年も前に似たような議論がなされていて、福井総裁は説明をしている訳ですね。こうなってしまうと、政治的な解決方法を提示しない限り、事態を打開することは出来ませんね。それぞれの主義・主張がぶつかりあっていて、膠着状態なのですから。


別な資料もありますので、見てみましょう。

第154回国会 予算委員会公聴会 第1号(平成14年2月27日(水曜日))


この資料を読むのはちょっと辛かったですけど、これと大体似たようなことがあちこちで繰り返し言われている。内閣府主催の会議やフォーラムなんかでも似たような議論が繰り返されるてし、質疑応答で出される意見とか疑問というのは主なものがほぼ出尽くしている訳ですね。日銀の会議などでもそうです。それでいて、堂々巡りの議論が起こる訳ですから、余程頭が悪いのではないか、としか思えませんね。


予算委員会の委員に選ばれるのは、有力議員の証としてある種のステータスのようなものだと思われているようですが、ここに参加していた議員たちが一体何をしたのか、というと、こうした議論の先にある「問題解決」という部分からは全く遠のいてしまっているわけです。野党も「予算案審議を(単なる嫌がらせのように)延長できた」ということに満足を見出したりして、本質的には何もやってないのと同じなのです。自民党も、野党も、「問題意識の共有」すらままならず、政治的解決方法を模索する、というところにまで到達すら出来なかったのですよ。予算委員会の意味って何ですか?何の為の議論なのでしょうか?今、最も問題となっていることは何か、という所の理解が余りに足りないのです。デフレ問題というのが、引いては景気対策であり(雇用でもあるな)、経済政策であり(財政問題でもある)、そういう最重要課題である、ということを認識出来ていれば、もっと早い段階から手を打てたかもしれないのです。なのに、何年にも渡って放置してきたのです。


かなり愚痴っぽくなっていますが、済んでしまったことは仕方がありません。今後の道を誤らないようにするには、どのような方法がいいのか、よく考えてみてください。少なくとも、空腹の子供を長い間放置するというのは全く意味がないと判ったことでしょう。そして子供が自分で何とか食べ物を調達してきて、少し空腹を満たしたところですので、それをわざわざ再び腹ペコにしたりしないでほしいですね。議論しているのは主義・主張を曲げない者同士であるので、部分的に折衷案にするとか、初めにA案で効果がなければ次にB案に移すとか、そういった何かの解決方法を考えるしかないと思いますね。