電脳筆写『 心超臨界 』

他者の働きによるのではなく
自ら他者に尽くすことにより成功をつかめ
( H・ジャクソン・ブラウン Jr. )

人間学 《 順境にも逆境にもかわらざる人物――伊藤肇 》

2024-08-25 | 03-自己・信念・努力
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  世界中の誰もが自分を賞揚しても
  私は独り静かに満足して坐っている
  世界中の誰もが私を見捨てても
  私は独り静かに満足して坐っている
  ( ホイットマン )


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p17 )
第1章人間学とは何か

◆順境にも逆境にもかわらざる人物

「人間を変える学問」とは何か。それは「心性(しんせい)の学」であり、「人間学」である。

客観主義的な朱子学に対して、「知行合一」の陽明学を樹立した王陽明〈中国明代の思想家〉が弟子の王純甫に与えた手紙は、この「心性の学」「人間学」を明確に規定している。

「天下ノコト、万変ナリトイエドモ、吾ガ之(これ)ニ応ズル所以(ゆえん)ハ、喜怒哀楽(きどあいらく)ノ四者ヲ出デズ。此レ、学ヲ為スノ要ニシテ、而シテ政ヲ為スモ亦(また)、其(そ)ノ中ニ在リ」〈人生は千変万化、いろいろさまざまであるが、自分がこれらの問題をテキパキと処理できる理由は「人生のいかなる変化も、つきつめれば、喜怒哀楽の四つを出ないこと」を知っているからだ。よく考えてみれば、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということが人生のすべてである〉

世の中には、道徳というと「一切、喜怒哀楽を表面に出さない、感情などには動かされないことだ」などと頑(かたくな)に信じ込んでいる向きがあるが、これはとんでもない誤解である。人生とは、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかということ――つまり「いかに生きるか」ということに「正しい自律」をたてること、「原理原則」をもつことである。そして、この「正しい自律」や「原理原則」これが「心性の学」であり「人間学」である。

この陽明学を日本で樹立したのは江戸時代の初期、「近江聖人」とよばれた碩学(せきがく)、中江藤樹で、この王陽明の規定を裏から説明している。

「順境にいても安んじ、逆境にいても安んじ、常に坦々蕩々として苦しめる処なし。是(これ)を真楽(しんらく)というなり。萬(よろず)の苦を離れて、此の真楽を得るを学問のめあてとす」

われわれが人物論をやる場合、「これはさすが一廉(ひとかど)の人物」と評価するメルクマールがある。

「夷険一節(いけんいっせつ)」という言葉だ。

「夷」は「たいらか」と訓(よ)み、「順境」のこと。「険」は「危険」の「険」だから「逆境」である。「順境」でも「逆境」でも全く変わらない人物、つまり「真楽」を身につけた人間のことである。

ホイットマン〈アメリカの詩人。「草の葉」が有名〉のいい詩を思い出した。

  世界中の誰もが自分を賞揚しても
  私は独り静かに満足して坐っている
  世界中の誰もが私を見捨てても
  私は独り静かに満足して坐っている
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