電脳筆写『 心超臨界 』

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活眼 活学 《 潜在エネルギーと顕在エネルギー――安岡正篤 》

2024-08-25 | 03-自己・信念・努力
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見かけはまことに弱そうに見えながら、何かやらせると非常に精力的な不屈不撓の人もおります。これは顕在エネルギーは貧弱であるけれども、氷山みたいに潜在エネルギーが旺盛なのです。どうも人間は自然の物質よりも複雑で、どちらかというと、見てくれのいい人よりも、見てくれのさほどでない人に潜在エネルギーの旺盛な人が多いものであります。


『活眼 活学』
( 安岡正篤、PHP研究所 (1988/06)、p17 )
[1] 活眼・活学
1 肉眼と心眼

◆潜在エネルギーと顕在エネルギー

「肉眼と心眼」というような意味をもって、日本の内外の大切な問題をお話し申し上げましょう。

人間は特に目が大切であります。即ち物が見えなければなりません。それも単なる肉眼では目先しか見えません。それではすこぶる危険であります。我々は外と同時に内を見、現在と同時に過去も未来も見、また現象の奥に本体を見なければなりません。仏教の方でも「五眼(ごげん)」ということを説いております。肉眼(にくげん)、天眼(てんげん)、慧眼(えげん)、法眼(ほうげん)、仏眼(ぶつげん)と申しますが、とにかく肉眼(にくがん)以上のものを心眼といたしておきましょう。それで見ますと、我々の生活も宇宙の活動も結局一つのものでありまして、宇宙をよくマクロコズム macrocosm と申しますが、我々の存在、我々の生活は、それに対して申しますればミクロコズム microcosm(小宇宙)であります。マクロとミクロと、つまり大と小との違いこそあれ、その本質においては共に同じコスモス cosmos(宇宙)であります。もしこれに科学的解釈を与えますならば、いずれもエネルギーの運動であり、変化であるということもできるのであります。

ところが、このエネルギーというものが我々の身体に発動しておることについては、随分誤解があるようであります。優れた新しい科学者の話を聞きますと、我々に意外な感じがするほど、しかもこの非常に新しい研究が、非常に古い、従来我々が親たちから聞かされておったことの新しい証明になる点において、限りなく興味があることでありますが、我々の生活を支配しておる、あるいはその内容を成しておるこのエネルギーの作用には、潜在エネルギーと顕在エネルギーの二種があるのであります。

我々の体格とか肉づき、栄養といったようなものは、これは現われておるエネルギーであります。ところが、そのように現われ、明らかに外面に出ておるエネルギーは、その人に存する全エネルギーの極めて一小部分でありまして、むしろ顕在エネルギーよりも潜在しておるエネルギーの方が遥かに強い力、大きな存在であるのであります。それはちょうど氷山と同じことで、水面に現われておる部分はごく一小部分であって、水面下に潜在しておる部分の方が、少なくとも水面に現われているものの八倍くらいはある。そこでうっかりしてよく氷山にぶつかって船が沈没するそうであります。それだけ潜在面が大きい。我々の潜在エネルギーも、このような非常に強い力を持っておるのであります。

そこで案外、顕在面で、いわゆる見てくれにおいて堂々たる体格をしておる人間が、それに相応して潜在エネルギーも旺盛であるとよいのでありますが、人間は氷山と違って、見てくれは堂々としながら、この潜在エネルギーの面においては案外貧弱な人があるものです。こういう人はえらく立派な体格をしておって、どんなに丈夫かと思うと、いやに病気をし易かったり、頓死をしたり、「へえ、あの男が参ったかね」というようなことをやったり、乃至は図体にも似合わず、ちょっと働くとすぐフウフウいったり、精力が続かなかったり、「大男総身に知恵が回りかね」ということもありますが、知恵ばかりでなく精力も回りかねる、だらしのないのが多いのであります。これはその潜在エネルギーが貧弱なのであります。

ところが、見かけはまことに弱そうに見えながら、何かやらせると非常に精力的な不屈不撓の人もおります。これは顕在エネルギーは貧弱であるけれども、氷山みたいに潜在エネルギーが旺盛なのです。どうも人間は自然の物質よりも複雑で、どちらかというと、見てくれのいい人よりも、見てくれのさほどでない人に潜在エネルギーの旺盛な人が多いものであります。「柳に雪折れなし」などというのも、そういう意味において相通ずるものがあります。

歴史を見ましても、英雄とか哲人とかいわれる人に、案外見てくれのそれほどでない人が多いものであります。この間も久し振りに「忠臣蔵」の映画を見たのでありますが、あの大石内蔵助などという人も、劇などではまことに堂々たる風格の人のように扱われておりますが、実際は歴史家の話によりますと、実は案外それほどでない。貧弱といっては悪いかも知れませんが、あまり風采は上がらなかった人のようであります。しかし見る人が見たならば、それはすぐ分りましょう。つまり心眼でみればすぐ分りましょう。

このごろいろいろ小説家の作品で有名になりました『三国志』。あの中に立役者の曹操という英雄がおります。皆さんの中にも『三国志』の愛読者がありましょうが、当時、今の四川の方に勢力を秘めていたのが劉備と諸葛孔明、北支一帯を支配したのが曹操であります。曹操などは、中国史四千年の歴史上大英雄といわれる人物であります。それが今の話で、そんなに風采が上がらない人でありました。

そこでこの英雄、英雄というものはとかく虚栄心の強いもので、いつの時代でもそうですが、ムッソリーニでもヒットラーでもスターリンでも、なかなか虚栄心が強かった。曹操もやはり虚栄の強い人でありまして、殊に自分の風采の上がらないということを苦にして、ある時、彼に服従した一勢力の使者が参りまして、初めて謁見いたしました時に、彼はわざと、自分の家来の中から一番風采の立派な人物を自分に化けさせて、自分はその侍従になって、傍について謁見式をやりました。その使者がなかなかの人物でありまして、謁見式が終わって引き下がったその控室で、接待の家来が「どうですか、今日君公にお目にかかった御印象は」と聞きましたところが、「さすがに曹公は御立派な方にお見受けしましたが、しかしあの曹公の傍におられた侍従は、ありゃ偉い人ですなあ」と言って感心いたしましたので、びっくりしてそのことを報告いたしましたら、曹操がニヤリと笑って「それはなかなか容易ならん奴じゃ。そういう奴を無事に帰せば大変なことになる」と言って、捕えてしまったという話がございます。

見る人が見れば分かるのでしょうけれども、見てくれと内実、顕在面と潜在面とは案外釣り合わないものでありまして、肝心なことは、その潜在エネルギーが顕在的なものより遥かに旺盛である、充実しておるということであります。人間の健康から申しましても精神から申しましても、あるいはまた植物の栽培から申しましてもそうでありまして、やはり根を培養することが深くないと、フラフラと麦が徒長したようなものになってしまっては、これは駄目であります。だから、優れた栽培家は、常に枝を剪定したり、花や実を間引いたりして、根の力を強くし、根の培養を深くするよう苦心するものであります。我々も、常にこの潜在エネルギーを培養するように留意しなければなりません。
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