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電脳筆写『 心超臨界 』

強みは物理的な能力がもたらすものではない
それは不屈の信念がもたらすものである
( マハトマ・ガンディー )

かけがえのない家族 《 母よりの年賀状——荒木忠夫 》

2025-06-04 | 06-愛・家族・幸福
20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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  世の中でいちばん大切なものは家族と愛
  ( ジョン・ウッドン )
  The most important thing in the world is family and love.
  ( John Wooden )


◆母よりの年賀状

「心の中のふるさと」――天草島―― 
( 荒木忠夫、株式会社イエローハット発行による小冊子、p6 )

天草の正月もまた、母を通じて、私の心の中にひとつの風景を残している。それは、私が中学3年生で、高校受験を間近に控えた頃のことであった。私は先生の勧めもあって、他の2人の友人と共に、天草島(あまくさじま)を離れ、熊本市内の高校を受験することを目標にがんばっていた。

市内の高校に行くことになれば、下宿が必要で、そのために要する費用は大変なものであった。8人の子どもを抱えた五反農家の父母には、とうてい、そのような余裕などなかったのである。

それでも父母は何とかして、私を希望通りの高校に進学させようと、いろいろ努力したようであるが、やはり、無理だったのである。

12月のある寒い夜、父は私を囲炉裏の端に座らせ、市内の高校をあきらめて、地元の高校に進学してほしいと言った。私は、泣きながら父のかいしょうの無さを大声でののしった。

日頃、厳しい父も、その時は無言で何かをかみしめているようであった。母は、何かをたのむような目で私をじっと見つめ、その目には涙が光っていた。しかし、私は、消えかけた囲炉裏の火を見つめながら、父母をののしり続けたのであった。

それから、私は勉強もせず、家族にも口をきかない日が続いていた。そのため、家の中は毎日、何となく重苦しい日が続いていた。そして、年が明け、元旦となった。私は、家族全員で毎年行なう初詣でにも参加せず、一人ふとんをかぶって寝ていたのであった。

朝、目を覚ますと、枕元に5、6枚の年賀状が置いてあった。私は床の中で何気なくそれを手にし、たいした感情もなく、一枚ずつそれをめくっていった。それは、ほとんど同じクラスの友人達からのもので、今年もがんばろう、今年もよろしく、という内容のものであった。

しかし、最後の一枚を読みながら、私は驚いた。それは、およそ、年賀状らしくない長々しいものであり、鉛筆書きで、ところどころ、なめたらしい濃い部分が残りカタカナまじりで書かれていた。差出人の名前はなかったが、私にはそれが、同じ家に住む母からのものであることは、すぐにわかった。

『お前に、明けましておめでとうと言うのはつらい。でも、母さんは、お前が元旦に、みんなの前で笑いながら、おめでとうと言ってくれる夢を何回も見ました。母さんは、小さい頃、お前が泣き出すと、子守唄を唄って、泣き止ませましたが、今はもうお前に唄ってやる子守唄もないので、本当に困っています。今度は、お前が母さんに親守歌を唄ってほしい』

14歳の私は、元旦の床の中で声をあげて泣いた。それは、中学3年生の反抗期の私に対する母の心からの子守唄であったのである。

この母の子守唄のおかげで、私は立ち直り、地元の高校に進学し、その後、高校卒業と同時に大学へも進学した。父は、私の大学入学の時、大切に残してあった山の種松を売って3万円の入学費用を作ってくれたのであった。

その後は、私は父母の援助をほとんど受けず、アルバイトと奨学金で大学も卒業することが出来たのであった。そして、現在の会社に就職して、もう16年の年月が経ち、長男はやがて中学生になろうという年齢になってしまった。そして、昔の私とおなじように、もう、親に反抗し始めているのである。

しかし、私の心の中にふるさとの母の匂いのする鬼池(おんのいけ)の赤い灯台と、天神山のやさしい風景がある限り、私は、大丈夫だと考えている。

母も、70歳となった。この母が、これからはどんな子守唄を唄ってくれるのだろうかと考えながら、同じふるさと出身の妻と、反抗期の子ども達を連れて、私は母の住む天草島に、今年もまた、帰りたいと考えている。
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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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親守歌には泣きました (great-something001)
2005-02-25 21:06:46
わが母に勝る母あらめやも、ですねぇ。生死を超えてて母への思いは誰の心の中にも生き続けているのではないでしょうか。
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