電脳筆写『 心超臨界 』

人間にとって世の中で最もたやすいことは自らを騙すこと
( ベンジャミン・フランクリン )

人間学 《 「人生二十年」の鬱屈——伊藤肇 》

2024-07-21 | 03-自己・信念・努力
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もともと、「一冊の本」には毒がある。それから悲しみがある。もし、その毒や悲しみにまで触れるほど、身に入れて読まぬというなら、最初から、その本は読まぬほうがましである。強い反発を覚えながら、反発させるものが同時に魅力となって、何時しか、生涯の伴侶となるという関係が、生き身の人間関係だけではなく、人間と書物との間にもたしかにある。いや、むしろ、反発させ、苛立たせ、叱責(しっせき)し、睨(にら)みすえるような迫力を持たぬ本などは、一時(いっとき)、それに溺れることはあっても、年輪のふくらみとともに意外に無縁なものになってしまっている。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p143 )
第5章 修己治人の人間学

◆「人生二十年」の鬱屈

「その生涯において、何度も読み返し得る一冊の本を持つ人は幸せである。さらに数冊を持ち得るひとは至福の人である」

イントロでも引用したモンテルラン〈仏・作家。代表作に戯曲『サンチャゴの聖騎士団長』〉の名言だが、筆者は、この『世界の旅』をくり返し、くり返し読んだ。そして読み返す度毎に新鮮な喜びを味わった。

ところが、反復熟読しているうちに妙な現象が起こった。前に読んだ時には、ひどく心打たれ、のめり込むほどの魅力を感じた章句の一つ一つに、今度はむかっ腹がたってきたのである。

たとえば、こんな調子だった。

「老は『年とる』『老いる』ことに相違ないが、それよりも大切な意味は『なれる』『練れる』ことである。老酒(らおちゅう)といえば、呑めばピリッときて、すぐに酔いが出るというような酒でなく。舌にとろりと油のように熟れた味があって、呑むほどに陶然と快くなり、盃を置けば、ほのぼのと醒めるような酒のことである。『老大人』というのも、昂奮しやすく、しょげやすいというようなものではなく、世故に長(た)けて、容易に喜怒も色に表れず、失言虚飾(しつげんきょしょく)せぬ成人を意味する」

とあれば〈何を!〉と思い「興趣一タビ到ラバ乱酔スベシ。侠情一タビ往カバ狂起スベシ。圭角(けいかく)のない青年など、この世に生きている価値はない。若いくせに妙に老成ぶっている奴は鼻もちならない」と喚いた。

また「エマーソン〈アメリカの詩人〉が英国に趣いて、ワーズワース〈英・詩人〉を訪ね、談たまたまゲーテ〈独・詩人、小説家〉に及んだ時、ワーズワースはゲーテを罵倒して『あらゆる種類の姦淫私通に充ち、まるで多くの蠅がその辺を飛ぶようで、どうしても第一篇以上は進んで読むに堪えぬ』といった」という一節にぶつかると、「何をッ! 与謝野晶子の『やわ肌の 熱き血汐に 触れもせで さみしからずや 道を説く君』という短歌があるじゃないか。恋は一切の打算を排した盲目の恋にこそ命がある。『毒の香(こう) 君に焚かせて もろともに死なばや春の かなしき夕べ』とうたった牧水の境地は永遠に理解できぬだろう」と反発し、あげくのはては『世界の旅』を床にたたきつけた。

これを何度もやるものだから、当然、装幀はぼろぼろとなり、とじ糸もきれてしまった。

現在、自分自身が単行本を十数冊出す立場となり、出来不出来はあっても、それなりに心血を注いだ本をこんな風に扱われたら、それこそむかっ腹がたって、横っ面の一つも張りとばしてやりたくなるが、そういう師に対する非礼を平然とやってのけたのである。

もともと、「一冊の本」には毒がある。それから悲しみがある。もし、その毒や悲しみにまで触れるほど、身に入れて読まぬというなら、最初から、その本は読まぬほうがましである。

強い反発を覚えながら、反発させるものが同時に魅力となって、何時しか、生涯の伴侶となるという関係が、生き身の人間関係だけではなく、人間と書物との間にもたしかにある。いや、むしろ、反発させ、苛立たせ、叱責(しっせき)し、睨(にら)みすえるような迫力を持たぬ本などは、一時(いっとき)、それに溺れることはあっても、年輪のふくらみとともに意外に無縁なものになってしまっている。

まして、その頃は、「人生二十年」と教え込まれ、一、二年後には確実に戦場の露と消えねばならぬ運命を担(にな)わされていただけに精神的にも鬱屈(うっくつ)していたから、一層、反発も激しかった。

ところが、幸か、不幸か、敗戦となり、建国大学は閉鎖されて、日本へ引き揚げた。『世界の旅』に対する「対立と反発と愛着と畏敬」をそのまま胸中に持ち越してである。
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