電脳筆写『 心超臨界 』

だれもみなほめ言葉を好む
( エイブラハム・リンカーン )

ミツコの激しい想いは、友愛思想に命を賭した栄次郎=リヒャルトに結晶化した――小泉英明さん

2009-10-14 | 03-自己・信念・努力
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パン・ヨーロッパ構想とミツコ――日立製作所フェロー・小泉英明
【「あすへの話題」09.10.02日経新聞(夕刊)】

若いころ、臆面もなく白洲正子さんに文章の添削をお願いしたことがあった。丁寧なお返事を頂き感激した。その白洲さんが師と仰いだのが、審美の天才、青山二郎である。氏の感性に興味をもって調べるうちに、わが家の近くに青山家の墓所があることを知った。多角形の大きな墓が青山喜八氏(二郎の祖父の兄弟)。その娘こそ光子、すなわちクーデンホーフ・ミツコである。路面が凍結した明治の冬、光子の家(骨董(こっとう)屋)の前で、来日した伯爵が落馬。介抱した出会いが縁で結婚した。凛(りん)とした残り香の「ミツコ」(香水)にも通じる。

伯爵夫人として欧州社交界に活躍したミツコには、東洋と西洋を結ぶ子どもたちがいた。東京生まれの次男・栄次郎は『パン・ヨーロッパ』を記したリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵その人である。ナチが台頭した際、苦労して旅券を入手。リスボンから米国へと亡命して国際的な活動を続けた(この脱出行が、映画「カサブランカ」のモデル)。そのパン・ヨーロッパ運動は、現在の欧州連合へと繋(つな)がった。かつて、この思想に共鳴したのが鹿島守之助と鳩山一郎の両氏。それぞれ伯爵の著作類を翻訳出版。「フラタニティ」(民族を超えた絆(きずな)「友愛」、あるいはフランス革命の「博愛」)の重要性を説くことになる。

日本が敵国となった際には、最愛の息子を前線に送り、また、日本に帰ることなく逝ったクーデンホーフ・ミツコ。しかし、心の奥で愛した祖国日本の文化や思想は、深く子どもたちに刻み込まれて、東洋と西洋が融合した。ミツコの激しい想いは、友愛思想に命を賭した栄次郎=リヒャルトに結晶化したと私は推察している。

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