電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

活眼 活学 《 身体と生活 (2/2)——安岡正篤 》

2024-10-01 | 03-自己・信念・努力
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精神状態は平和であっても、どこか健康に支障があれば、熟睡はできない。疲労すれば熟睡はできても、精神状態が不安であると、安眠にはならない。囚人が監獄を脱走して、山の中を歩き疲れた時など、熟睡はするが、それは非常に不安眠である。我々はやはり精神生活に伴うて安眠する。


『活眼 活学』
( 安岡正篤、PHP研究所 (1988/06)、p123 )
[2] 人生心得
6 日用心法

◆身体と生活(2/2)

第二に、毎晩よく眠れるかということである。眠るということがいかに人体に必要な問題であるかはいうまでもないが、とにかく、よく眠ることは非常に大事である。眠りにもいろいろある。まず、安眠と熟睡と両方を要する。熟睡というのは深く眠ることで、これは、つまり生理の問題である。安眠というのは、より多く心理的問題である。精神状態が平和であると安眠ができる。安眠と熟睡とは、そういう点で違う。

精神状態は平和であっても、どこか健康に支障があれば、熟睡はできない。疲労すれば熟睡はできても、精神状態が不安であると、安眠にはならない。囚人が監獄を脱走して、山の中を歩き疲れた時など、熟睡はするが、それは非常に不安眠である。我々はやはり精神生活に伴うて安眠する。

それから、疲労の度によって熟睡、あるいは浅睡になる。常に安眠して熟睡することを考えねばならない。そして熟睡は案外短時間でよい。既に生理学者が証明している通り、眠りは最初のうち、うつらうつらして本当に寝入っておらない。それからしばらく熟睡して、そうして、またうとうとしてくる。これは大変気持ちのよいもので、これを惰眠という。西洋でも東洋でもそうだが、有為有能な人に共通しておることは“惰眠”せぬことである。

蒋介石総統が心酔した曾国藩という清末の偉人がある。この人が日記や手紙に、「黎明即起」「醒めて後、霑恋(てんれん)することなかれ」と力説している。

霑恋というのは、床離れの悪いことである。確かに我々朝寝坊をするのと、しないとでは、非常に違う。能率が上がるばかりじゃなく、精神状態も爽快である。それに案外少時間の安眠熟睡を得れば足りるが、精神的に不安を持っておると、どうしても熟睡がしにくくて、眠りが浅くなるから、惰眠の時間が長くなる。そこで毎晩よく眠れるか、安眠・熟睡ができるかどうかということを点検することは大いに意味がある。

アメリカのある大学の心理学研究室で、大学生の生活調査をやった報告を見たが、その中でやはり飲食や睡眠を調べておった。

その報告に依ると、いわゆる惰眠が多い。不安眠が多い。本当に規則正しい生活をして、学問や運動に打ち込んで、安眠・熟睡、黎明即起、醒後霑恋せざる者は寥々たるものである。

大学生時分はそれでも済むが、社会人・事業人になると非常に注意しなければならぬ。特に人の子の親となれば、子供に好影響を与える第一はこの健康な早起きである。

第三は、自分の心身に影響を与えておるような悪習慣はないかということである。朝起きると、亀の子のように寝床から首を出して、煙草を吸いながら一向起きないとか、夜遅く晩酌をやりながらくだをまくとか、麻雀などやって、またしても夜明かしするとか、一度銀座通りのような処をうろついてこぬと本が読めぬとか、案外人間にはつまらぬ習慣があるものである。そういう悪習慣のあるなしを自ら検(しら)べるのである。

人生は習慣の織物であると、有名なスイスの哲学者詩人であるアミエルが説いている。全くその通りである。

第四は、適当な運動をしておるかどうか。運動というものはその人によらねばならない。その人によって、かなり過激な運動も良いし、場合によっては柔軟運動が好いし、また場合によっては静座・調息あるいは散歩といったものが良い。運動というものは、その人に適したものでなければならない。

運動そのものがいかに良くても、その人に適するとは限らない。いずれにせよ自分自身に適当な運動をすることが大切であるが、かねて本会で推奨している真向法は万人向きであると思う。

乗り物の発達は人間をひどく不健康にする。文字通り「不足」にするのである。
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