電脳筆写『 心超臨界 』

悲観論か楽観論かの問いにはこう答える
私の知識は悲観的なものだが私のやる気と希望は楽観的だ
( シュヴァイツァー )

般若心経を意訳する――公方俊良

2024-09-28 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
《自民党議員/党員必見!》『自民党総裁選候補者の人物評を西川京子前九州国際大学学長・元文科副大臣に訊く;水間政憲』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「人間学」を学ぶ上で避けて通れないもののひとつに般若心経があります。般若心経は正しくは「摩訶般若波羅蜜多心経」といいます。摩訶とは、偉大なとか不思議なという意味で、般若とは、智恵。波羅蜜多は、完成する、真実に目覚めること。心経は、心髄の教えという意味です。従って、これをつなげて訳せば、「偉大なる真実に目覚める智恵の教え」となります。いうなれば、人間学の免許皆伝の巻物のようなもの。わずか276文字のなかに、常に最高の「今」を生きるための智恵が込められているということです。

般若心経ほど多くの解説書が出されている教典はないと思います。そして解説者は、それぞれ自らの人生に照らして般若心経を意訳してみせてくれます。そうした現代語に意訳された般若心経を読むことも、「偉大なる真実に目覚める智恵の教え」に近づく大きな助けになります。今日は、蒼竜寺住職・公方俊良さんの般若心経を読んでみることにしましょう。

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公方俊良(くぼう・しゅんりょう)
 1941年生まれ。敦実親王菩提寺・蒼竜寺第四十一世貫主。
国際仏教伝道学院長。毎日文化センター宗教講座講師。
 講演は、官公庁、経営団体、公益法人、公共団体、企業など、
年間100回に及ぶ。また、NHKラジオ「宗教の時間」や「文化
講演会」でも放送。
 著書に『禅に学ぶ人生 90の智恵』『一日一話の般若心経』
『般若心経90の智恵』など60数冊あり、韓国語、中国語にも
翻訳出版されている。
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◆般若心経を意訳する――公方俊良

『般若心経――人生を強く生きる101のヒント』
( 公方俊良、知的生きかた文庫、p18 )

真実の幸せに生きよう

観音さまは、「人間の真実の幸せとは何か」を究めるために修行された。そして、人間と、人間の思いは、すべて虚妄(きょもう)であることに目覚められ、あらゆる苦しみや迷いから解き放たれて、仏になられた。

わが友、シャーリプトラよ、人間にとって何が真実の幸せかを説こう。欲望の対象となるものは、すべて虚妄であり、虚妄なるものの上に欲望というものは構築されている。だから、欲望を抱くことは空(むな)しく、空しさとはすなわち、欲望を抱くことなのだ。

欲望を抱くもとは、感じたり、思ったり、判断をしたり、認識したりすることだが、これも同じように空しいものである。

シャーリプトラよ、すべての存在は実体がない。だから、生じたり、なくなったり、浄(きよ)らかであったり、垢(けが)れていたり、減ったり、増えたりすることは何もないのだ。

このように、諸法は無我であるから、欲望の対象も、それを感じることも、それらへの思いも、判断も、認識もなく、それらを覚知する眼も、耳も、鼻も、舌も、身体も、心もない。また、覚知する対象である形も、声も、香りも、味も、触れるものも、心の働きさえもない。

さらに、眼で見て認識する働きから、心であれこれ思うことまでなく、人間の愚かさや迷いもなく、愚かさや迷いがなくなることさえない。そして、老いたり、死んだりすることもなく、老いたり、死んだりすることから解放されることもない。

苦しみも、苦しみの原因も、苦しみから逃れる方法も、苦しみがなくなることもなく、真実に目覚めることも、悟りをえることもない。なぜならそれらはもともと得ることがないからである。

仏たちは、真実の幸せの世界に安住しているので、心に執着がない。執着することがないから、真実の幸せを失うことの恐れがない。だから、妄想に悩まされることもなく、つねに心がやすらいでいるのだ。

過去、現在、未来に出現された仏たちは、真実の幸せの世界に安住されているから、完全な悟りを得た人といえよう。

 したがって、真実の幸せに至る手だては、すぐれた仏の言葉であり、すばらしい仏の言葉であり、最高の仏の言葉であり、比類のない仏の言葉によるものである。それは、あらゆる苦しみや迷いを消滅し、真実であるから虚しさがない。

 そこで、真実の幸せに至る仏の言葉を示そう。その仏の言葉とは次のとおりである。

 「求め、求め続けよ、真実の幸せを、すべての人よ、ともに生きよ、至福の人生を」

 幸いあれ。
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