電脳筆写『 心超臨界 』

成功はそれを得るために捨てなければならなかったもので評価せよ
( ダライ・ラマ )

人間学 《 心配せずに工夫せよ――伊藤肇 》

2024-10-21 | 03-自己・信念・努力
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「仏教は覚悟の宗教だから、しっかり腹がきまったら、何が起ころうと心配はないはずだ。しかし、工夫はしなければならぬ。一番いい例は医者だ。いかなる名医といえども、自分の子供が重態に陥った時には脈をとる手が乱れる。それは血のつながりからくる不安が経ちきれぬからだ。しかし赤の他人の医師だったら、そういう不安はなくて、工夫だけするから、立派に脈もとれ、病気も治せるのだ。だから、事を処する場合には『心配するな、工夫だけせよ』という境地が大事になってくる」


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p177 )
第6章 原理原則の人間学

◆心配せずに工夫せよ

中央の舞台で華々しく活躍できる実力をもちながら、敢えて、郷土発展のために一生をささげた宮崎交通相談役の岩切章太郎の師は宗教家の木津無庵だった。

「その出会いは、先生が全国の師範学校の生徒に正しい仏教を身につけさせたいと行脚しておられる最中だった。最初、宮崎へお出でになった時には、お目にかかれなかったが、その時、師範学校で配布された『仏教の精髄』という小冊子をみて、私は深い感銘を受けた。以来、2回目以降は、ずうっと先生がおいでになるとついてまわった」という。

たまたま、そんな最中に日向中央銀行がつぶれかけて出馬を懇請された。ところが、年が若い上に銀行経営の経験などは一度もない。おまけに宮崎農工銀行の監査役をやっていた関係で同業の日向中央銀行の内容は知悉していた。それは、最悪の事態に陥る可能性のほうが強い状態だった。しかし「一応、考えさせてもらいたい」と一日の猶予をもらって、一晩、まんじりともせずに考えた。

〈行き詰まったものを引き受けるのが、自分の生き方の基本だから、たとえ、日向中央銀行がどんなに苦しい事態であろうと、逃げるという手はない。仕方ない、引き受けよう〉と決意した。だが、同時に自分自身にいいきかせた。

〈何といっても、再建というのは難しい問題だから、きっと、いやなことや苦しいことがつぎつぎと起こってくるに違いない。もし、自分が頼まれて引き受けたのだと考えていると、必ず、心中に不平不満が起こってくるだろう。不平不満が起こったら、自分自身も不愉快だし、仕事もうまくいかぬことになる。そうなってしまっては、再建はうまくはいかぬだろう。ならば、今、ここで自分の考えを転換しなければならない。俺は、日向中央銀行へ頼まれて入るのではない。自ら進んで、自ら求めて入るのだ。と〉

そこで、まっさきに師の木津無庵を訪ね、一部始終を報告すると、師は静かな口調でさとした。

「仏教は覚悟の宗教だから、しっかり腹がきまったら、何が起ころうと心配はないはずだ。しかし、工夫はしなければならぬ。一番いい例は医者だ。いかなる名医といえども、自分の子供が重態に陥った時には脈をとる手が乱れる。それは血のつながりからくる不安が経ちきれぬからだ。しかし赤の他人の医師だったら、そういう不安はなくて、工夫だけするから、立派に脈もとれ、病気も治せるのだ。だから、事を処する場合には『心配するな、工夫だけせよ』という境地が大事になってくる」

この一言は、難関にぶつかる度に岩切の救いとなった。

岩切は、ありていにいえば、背任罪で監獄につながれるところまで腹を据えていた。それが師の言葉によって、一層、励まされ、何が起ろうと、心配ということは一切しなかった。そのかわり、懸命に工夫に工夫を重ねて見事に日向中央銀行を再建した。

仕事を単に金儲けの手段ぐらいにしか考えていない人間には、こんな火中の栗を拾う冒険はやれるわけがない。また、そんな人間がのり込んだところで再建できるわけのものではない。

岩切にとっては「仕事をするということは『生きる』ことと同義語なんだ。悔いなく生きた、という満足感をもって人生を終わるためには、悔いのない仕事をしてゆくしか道はない」ということである。

そういう「人生の原則」が基底にあればこそ「経営の工夫」がうまれてくるのだが、その辺のところをドラッカーはずばりといいきっている。

「事業とは何か、と問われると、たいていの事業家は『営利を目的とする組織』と答えるし、経営学者たちも、ほぼこれと同じような意見をもっているようである。しかし、この答えは大きな間違いであるばかりでなく、まったく見当外れな答えである。利潤というものは事業の妥当性を検証する一つの基準を提供するだけのものである」
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