電脳筆写『 心超臨界 』

偶然は用意の出来ている人間しか助けない
( ルイ・パスツール )

人間学 《 人物のでき、ふでき――伊藤肇 》

2024-06-23 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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人間というものは、黙って相対しただけで〈この人物は相当な出来だな〉とか、あるいは〈すっとん狂な軽薄才子だな〉ということが大体わかるものである。まして、ものいう段になると、のっぴきならぬものが出る。実際、できた人間の言葉には一言一句にこくと迫力があるが、できていない人間は、まことに他愛のない言葉をカンナくずに火がついたみたいにペラペラとしゃべる。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p66 )
第3章 応待辞令の人間学

◆人物のでき、ふでき

「人を見る明」の第二のメルクマールは「応待辞令」である。

「応待」というのは、身辺に起ってくるいろいろな問題に即応し、かつ、その問題をきびきびと処理してゆくことである。そして、「辞令」とは、適当にそれらの問題に対して自分の考えを表明することである。

近ごろは「辞令」というと、任命の際のいいわたし書みたいな形で用いられるが、これは本来の意味ではない。

人間というものは、黙って相対しただけで〈この人物は相当な出来だな〉とか、あるいは〈すっとん狂な軽薄才子だな〉ということが大体わかるものである。まして、ものいう段になると、のっぴきならぬものが出る。

実際、できた人間の言葉には一言一句にこくと迫力があるが、できていない人間は、まことに他愛のない言葉をカンナくずに火がついたみたいにペラペラとしゃべる。

しかも、この微妙な問題は、にわか仕立てやつけ焼刃ではどうにもならないのである。いわば、ごまかしが絶対にきかないのだ。それだけに「応待辞令」で人物を判断するというのは、さすがに5千年の歴史をつみ重ねた漢民族の叡智である。
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