電脳筆写『 心超臨界 』

偶然は用意の出来ている人間しか助けない
( ルイ・パスツール )

生きるための杖ことば 《 往来跡幽深夜雪——松原泰道 》

2024-06-23 | 03-自己・信念・努力
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「往来跡幽かなり」は、道路や通りだけでなく「人生」をもふまえていよう。七十年間歩みつづけたわが人生行路をふり返る。是非善悪の足跡も、今は深夜の雪に音もなくかき消されて、見渡す限り白一色である。人間の一生は、はかない夢ではない。歴史的実跡をそのままに平等の深雪が覆(おお)うだけである。


◆往来跡幽深夜雪――良寛
( 往来跡(おうらいあと)は幽(かすか)なり深夜(しんや)の雪(ゆき) )

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p178 )

良寛が、越後三島村の木村家に移ってからの詩作に「草庵雪夜」がある。

「首(こうべ)を回(めぐ)らせば七十有余年 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡は幽なり深夜の雪 一炷(しゅ)の線香古窓の下(もと)」

良寛は七十三歳で亡くなったから、この詩は遺作に近い。「人間性のよしあしも見きわめた、夜も更けたので往来の人も絶えた、一本の線香をつけて古窓の下で坐禅をしよう」と。

「首を回らせば五十余年 人間の是非一夢の中(うち)、山房(さんぼう)五月黄梅(おうばい)の雨 半夜瀟々(しょうしょう)として虚窓(きょそう)に麗(そそ)ぐ」

良寛の人生回顧がひしひしと感じられる。自己の人間性を夢から、看破し尽くす現実へ、さらに梅雨と深雪にその生きざまを表象する。

「往来跡幽かなり」は、道路や通りだけでなく「人生」をもふまえていよう。七十年間歩みつづけたわが人生行路をふり返る。是非善悪の足跡も、今は深夜の雪に音もなくかき消されて、見渡す限り白一色である。人間の一生は、はかない夢ではない。歴史的実跡をそのままに平等の深雪が覆(おお)うだけである。

良寛は、幸いにも歌の愛弟子の貞心尼(ていしんに)のあたたかい看護を受けつつ臨終を迎える。良寛には遺言も辞世もなかったという。貞心尼が、さりげなく一首の歌を見せると、良寛は「うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ」と答える。

この句は、良寛の句ではないが、貞心尼にはうれしかった。人間一生の表裏を隠すことなく見せてくれたのだ。それは「往来跡幽深夜雪」に通じよう。古田紹欽氏が「この句に越す辞世なし」と言いきられるゆえんだ。
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