電脳筆写『 心超臨界 』

神は二つの棲み家をもつ;
ひとつは天国に、もうひとつは素直で感謝に満ちた心に
( アイザック・ウォルトン )

生きるための杖ことば 《 碧樹不曽凋――松原泰道 》

2024-05-26 | 03-自己・信念・努力
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碧樹の千年の翠は、実は一枚一枚の年ごとの若葉にある。永遠を知るとは、変わるものの中に変わらぬものが宿されているのを凝視出来ることである。無常の中に常住を見つめて、はじめてめでたい。“花びらは散っても、花は散らない”との金子大栄師のお言葉をおもう。


◆碧樹不曽凋(碧樹(へきじゅ)かつて凋(しぼ)まず)

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p118 )

「清流無間断」の対句が「碧樹不曽凋」である。碧樹は一年を通じて緑葉を保つ松や杉の常緑樹を指す。碧樹不曽凋は、清流無間断とともに「活動するものは、つねに新鮮だ」との字義である。したがって「松樹千年翠(しょうじゅせんねんのみどり)」とともにめでたいことばである。

ある年の春、九州の博多へ旅行をしたおり、大宰府の天満宮へ参拝することが出来た。花の盛期は過ぎていたが、広い境内には、なおたくさんの梅花が咲いていて十二分に楽しめてしあわせだった。梅林の外に、境内には楠(くす)の老大木が数多く亭々とそびえ立っている。御田宮司(ぐうじ)さんの案内で古木中の古木の楠の根本にたたずんで、ふと見ると、石に深く刻まれた荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)さんの句碑がたっている。

  楠木千年 さらに 今年の若葉なり

この句を口ずさんだ私は、思わず息をのんだ。永遠の生命の因縁が、かくも鮮やかにわずか十七文字の俳句に詠みこまれているのだ。楠だけではない。「松樹千年緑」もまた同じく「さらに 今年の若葉」によって相続されていくのだ。この句は「さらに」の三字によって脈動する。

碧樹不曽凋とは、どういうことであるかは、さきの井泉水氏の句で明らかに知り得よう。この句にみる「さらに」は、この語の「曽(かつ)て」と同意語となる。過去完了の「曽て」がそのまま現在から未来へ「さらに」と引きつながれていく。碧樹の千年の翠は、実は一枚一枚の年ごとの若葉にある。永遠を知るとは、変わるものの中に変わらぬものが宿されているのを凝視出来ることである。

無常の中に常住を見つめて、はじめてめでたい。“花びらは散っても、花は散らない”との金子大栄師のお言葉をおもう。
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