電脳筆写『 心超臨界 』

人の長所はその人の特別な功績ではなく
日頃の習慣によって評価されなければならない
( パスカル )

終身雇用を日本的伝統だと誤解している人が少なくない――堺屋太一

2024-10-23 | 05-真相・背景・経緯
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松下幸之助は様々な点で新しいことをはじめたが、中でも重要なのは昭和初期の大恐慌の時に示した終身雇用の発想だろう。それがやがて全日本に広まり、戦後の「日本式経営」に発展するからである。戦後の日本が終身雇用を慣習としているため、これが日本的伝統だと誤解している人も少なくないが、決してそうではない。


『日本を創った12人 後編』
( 堺屋太一、PHP研究所 (1997/05)、p197 )

松下幸之助は様々な点で新しいことをはじめたが、中でも重要なのは昭和初期の大恐慌の時に示した終身雇用の発想だろう。それがやがて全日本に広まり、戦後の「日本式経営」に発展するからである。

戦後の日本が終身雇用を慣習としているため、これが日本的伝統だと誤解している人も少なくないが、決してそうではない。

「終身雇用は日本的伝統である。徳川時代から商家へ入ると丁稚から手代、そして番頭となり、やがて暖簾(のれん)分けを受けた。その伝統が引き継がれて今日の終身雇用となっている。退職金は往時の暖簾分けの代わりである」

一時はこんなことをもの知り顔でいう学者もいたが、これは完全な間違いだ。徳川時代に商家の丁稚で入ればやがて暖簾分けで店が出せたというのは、戦後つくられた「神話」である。元禄までの成長期でも丁稚に入った中で番頭になれたのは五人か十人に一人、その番頭でも暖簾分けを授かれたのは何人かに一人だ。享保以降になると主人の娘婿にでもならない限り、暖簾わけなどまずあり得なかった。

その上、大正から昭和にかけての日本は、労働者横転率(同じ職種、例えば運転手なら運転手、旋盤工なら旋盤工として会社を替わる率)が世界で一番高い、といわれていた。日本ほどクビ切りが簡単で、従業員も会社を替わる国はない、という統計が残っている。昭和14年(1939年)に「工場法」が改正されるまでは、クビ切りに対して何の歯止めもなかったし、それを肯定する理論もできていた。いわゆる出稼ぎ労働理論である。

日本の工場勤労者の典型は農村から出稼ぎにくる農家の次三男か娘さんである。従って、解雇になっても郷里へ帰れば、農業をしている親兄弟や親類縁者があたたかく迎えてくれる。そこで農業を手伝っていれば、所得は減るが飢え死にすることはない。そしてやがて景気がよくなれば、また都市に出て工場や商店で働く。

そんなことを繰り返しながら、高等小学校を卒業する十三、四歳から働いて、女性は二十歳くらいで結婚するまでの六、七年間で嫁入り道具を準備し、男性は四十歳近くまでにお金を貯めて帰農し、田地の四、五反も買えれば成功者である。この国には大家族制という公序良俗があるから職場にこだわることはない、労働者が労働組合をつくってクビ切り反対闘争などする必要もない、これが日本のいいところだ、というのである。

つまり、日本人のほとんどは農村に本拠を持ち、人生の一定期間だけ工場や商店へ出稼ぎに行くに過ぎない、と思われていた。「サラリーマンは浮草稼業」といわれたように、会社勤めとは全人生を託すような職業でもなかったし、職場の方も全人生に責任を持つものでもない、と考えていた。

そういった状況のもとで、昭和4、5年の大恐慌が起こった。その時、松下幸之助は自社の従業員を解雇せず、半日操業、全社員は休日を返上して滞貨の販売に取り組むことによって難局を切り抜けた。企業が従業員の人生に責任を持つ、という発想を実行したのである。

幸いなことに、やがて前述の「当選号」の発売によって業績も伸び、クビ切りなしに乗り切ることができた。幸運もあったとはいえ、そういう発想を持って努力し成功したのは独創的である。一介の勤労者として働く者の気持ちの分かる松下幸之助ならではのことだ。これが戦後になると全産業に拡がり、いわゆる日本式経営となったのである。
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