電脳筆写『 心超臨界 』

ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である
( ウジェーヌ・イヨネスコ )

§5 戦後の戦争に敗れた日本

2024-07-20 | 心が臨界質量を超える
§5 戦後の戦争に敗れた日本


嘘と作り話の上に自己を築くことほど
この世で恥ずべきものはない
( ゲーテ )
There is nothing in the world more shameful than
establishing one's self on lies and fables.
( Johann Wolfgang von Goethe, German poet, 1749-1832 )


◆GHQの日本占領——日本人から誇りと歴史を奪おうとした占領政策
「戦争協力者を公職(こうしょく)から排除する」という名目による「公職追放令(ついほうれい)」で20万6千人以上もの人々の職を奪い、メディアに出る口も封じた。これで筋の通った有能な人材が各界から追われ、戦前戦中は日陰(ひかげ)の身だった共産主義者たちやその共鳴者(きょうめいしゃ)たち、亜流(ありゅう)の左翼言論人(げんろんじん)が息を吹き返して教育界・大学・マスコミに入り込み、日本が何でも悪いという「自虐史観(じぎゃくしかん)」を日本に蔓延(まんえん)させることになった。GHQと彼らがめざしたのは日本人を骨抜きにし、日本の歴史を奪うことだったのである。

◆日本国憲法公布——主権のない時代に押しつけられた国際法違反の“憲法”
「主権のない時代に主権の発動たる憲法ができるわけがないではないか」というのがまっとうな憲法に対する考え方であろう。つまり、「日本国憲法」とは占領軍が“植民地”日本の統治を都合よく行うための「占領政策基本法」だったのである。言い換えれば、日本国憲法は条約憲法で、ふつうの憲法ではない。「日本国民の総意に基(もと)づいて」などいないことは明白である。

◆日本は三つの原爆投下を体験している――火の原爆・氷の原爆・心の原爆
広島・長崎原爆(火の原爆)の死者数は30万人。一方、スターリンによるシベリア抑留は37万人あまりの日本人の生命を奪った(氷の原爆)。では、日本人が投下されたもうひとつの原爆とは何か。実は、後遺症という点では、三つ目の原爆のほうがはるかに被害が大きいといってもいい。東京裁判である。東京裁判でただひとり日本無罪論を展開したインド代表のラダ・ビノード・パール判事は、かつて訪日した折、日本人の原爆に対する態度(ブログ追記:「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」)を見て、「東京裁判で何もかも悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグが、これほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。東京裁判の影響は原爆の被害よりも甚大(じんだい)だ」と嘆かれた。

◆精神的「カルタゴの平和」
第二次大戦に勝ったアメリカは日本に対して「カルタゴの平和」を目指したのだ。しかし、日本の一切を破壊し尽くし、日本人を皆殺しにする蛮行は、いまでは許されない。では、どうすればいいのか。日本人の精神を破壊し、骨抜きにするのがいい。つまり精神的「カルタゴの平和」である。

◆民族の劣性への転落
この日本民族の転落の状況を長谷川氏は次のごとく表現している。「近代化の馬力と速度において東洋一といわれただけに、その同じ力による、世紀の転落の歴史も、高速度で日本を押し流してしまった」。なぜそうなったかというと「伝承にある優性なるものが、人為的に抑圧され、劣性なるものが無軌道に跳梁(ちょうりょう)して、健全な優性の頭脳を病的な劣性の頭脳におきかえ、社会的、国家的な意識をその奴隷とした」ためである。

◆都合のいい言葉を戦勝国に握られた
戦前、民主主義や民族自決や人権の尊重などを口にし、東ヨーロッパにおいては民族自決ということを実行しながら、アジアにこれを導入し政治制度化しようと努力した欧米の国は、ただの一つもない。それなのに、なんで日本は自由だの、人道だの、人権だのという恰好のいい言葉を全部彼らに握られてしまったのか。なぜトルーマンのそうしたせりふに、戦後日本はやすやすと乗せられてしまっているのか。これはまさに、“言葉喪失”といってもいいでしょう。

◆巧妙な四つの占領政策
何度も言いますけれども、戦闘が終わっても、戦争は継続していたのです。戦勝国はそのことのもつ意味をよく知っていましたので、この“戦後の戦争”を続けていたといってよいのですが、日本は迂闊にもそのことを忘れてしまった。そして、自分の戦った戦争と、朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争など世の中にある一般の戦争とを混同して、いっしょくたにして議論するようになり、それとともに自分の歴史を、他人の歴史と取り違えるようになってしまったのです。こうして、戦後における戦争に敗れたことが、まさにこの国の敗戦の本当の意味ではないでしょうか。

◆“戦後の戦争”に敗れた日本
あえていうならば、8月15日に戦闘は終わったけれども戦争は続いていた。その継続されていた“戦後の戦争”において、日本はとことん敗れたのだといっていいかもしれない。戦闘に敗れたことよりも、もっと痛手は大きかった。そしてそれは、「政治」において敗れたというふうにいい換えたほうが正しいように思います。

◆西洋文明に立ち向かった“理念の戦争”
アメリカン・デモクラシーは、イデオロギーじゃないと思ったら大間違いです。戦前の日本は、少しそのことを知っていて、「英米本位の世界秩序を排す」という論文がよく書かれました。こういう議論が出たのは、英米がいかにエゴイスティックな原理主義の国であるかということを、骨身にしみて知っていたからです。戦争に敗けたらすっかりそれを忘れてしまって、われわれはアメリカの正義、アメリカの歴史観、アメリカ本位の世界秩序の内部に包みこまれてしまった。袋の中にいれられたものには、袋は見えません。だから、アメリカという国の底意が見えない。

◆冷戦後の「カルタゴの平和」――狙い撃ちにされた日本
ベルリンの壁が壊された89年には、早くもCIA長官ウィリアム・ウェブスターが、「今後、日本を含む経済ライバル国家が情報活動の対象となろう」と言明しました。翌90年にはジェームズ・ベーカー国務長官が、「冷戦での戦勝国は日本だった。冷戦後も戦勝国にさせてはならない」と語りました。92年にはCIA長官のロバート・ゲイツが、「CIA情報活動の4割を経済産業分野に振り分ける」と宣言しました。


§5-1 公職追放がアメリカの植民地・日本をつくった

◆ソーシャル・エンジニアリング(社会改造)
【百田】 占領統治初期の段階で、共産主義を支援したことによって、日本のメディア、マスコミ、そして大学に共産主義が浸透しました。戦前の愛国心にあふれる学長、教授、先生たちが、次々に追放されてしまった。逆に、戦前に日本の大学から追放されていた無政府主義者、共産主義者を東大、京大にドンドン送り込んで、大学のトップクラスを占めていった。【江崎】 これを英語で「ソーシャル・エンジニアリング」、日本語だと「社会改造」という言い方をするのですが、共産主義者が使う典型的な方法です。特定の層をすべて排除して自分たちの意向に沿った人物たちだけを権力の中枢に据えて、社会全体を改造するやり方です。

◆分割統治が国を分断する――ミャンマーの例に学ぶ
ミャンマーことビルマは、もともと仏教を信ずるビルマ人の国だった。19世紀、この国を征服した英国はすぐに大量のインド人と華僑をいれて金融と商売をやらせた。さらにモン、カチンなど周辺の山岳民族を山から下してキリスト教に改宗させ、彼らに警察と軍隊を構成させた。単一民族、単一宗教のビルマはこれによって多民族、多宗教国家に改造され、この国の主だったビルマ人は農奴に落とされてしまった。

◆公職追放が敗戦利得者を生んだ
戦前「アカ」と疑われて大学を追放された人たちが、戦後はアカデミズムに戻って、しかも大学の世界では位人臣(くらいじんしん)をきわめました。日本が負けたおかげです。日本の敗戦がなければ大学を追われたままでした。彼らが戦前を悪く言い、東京裁判および公職追放を経たあとの戦後を褒めそやすのは当然なのです。

◆敗戦利得者とはどういう人たちであったか
戦前「アカ」と疑われて大学を追放された人たちが、戦後はアカデミズムに戻って、しかも大学の世界では位人臣(くらいじんしん)をきわめました。日本が負けたおかげです。日本の敗戦がなければ大学を追われたままでした。彼らが戦前を悪く言い、東京裁判および公職追放を経たあとの戦後を褒めそやすのは当然なのです。

◆「敗戦利得者」が戦後の日本を牛耳った
外交交渉で愚かな使者に花を持たせるという手法が、孫氏の兵法に出てきます。宮澤(俊義)氏が公職追放にならなかったのは、この孫氏の兵法の応用ではないかと評したくなります。こういう言い方は品がないけれど、バカな学者を東大法学部の教授に置いて置くことで、東大法学部出身の人間が中央官僚や政治家として日本政府の中枢を占めるようになり、日本国全体の知的水準の程度を下げた。これは社会を潰すときの最もいい方法です。

◆封印されていた占領下の米兵「日本人婦女子凌辱事件」ファイル
1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。〈N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は三台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。彼等の総数は二百人とか三百人という説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく四十数人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された〉「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」「M子などは続けさま七人の兵隊に犯され、気絶した」そして「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」……慄然とする内容である。

◆人工妊娠中絶
激しい戦争がようやく終わり、長い間女性と接することができなかったアメリカの兵士が大勢日本に押し寄せ、日本では強姦(ごうかん)が多発するとともに水商売が非常に栄えた。その結果、日本女性とアメリカ兵士との間に子供が生まれるようになった。そこでサムス軍医は日本の自称エリートと結託して、中絶に関する法律を変えてしまった。人種改良という恐ろしい「科学」に基づいた、優生保護法である。

◆GHQ、禁断の「産児制限」――日本の少子化は「人災」だった
闇堕胎による女性の健康被害が社会問題化したこともあり、ついに吉田茂内閣はそれまでの政府方針を転換した。24年4月、産児制限拡大を検討するため人口問題審議会の設置を閣議決定した。これを受け、同年6月には優生保護法に改正が加えられ、日本は「経済的理由」で中絶が認められる国となった。結果として、第1次ベビーブームは突如終焉したのである。主権回復から間もない27年5月に同法は再び改正され、「経済的理由」に該当するかどうかの判断は医師に委ねられた。それは、現在に至る長い少子化の歴史の始まりでもあった。

◆アメリカの戦略政策によって戦後日本の食生活が激変した
学校給食法ができた1954年の2年後に、オレゴン州の小麦栽培者連盟っていうのが、東京に進出してきて、先程言った、米を食べると馬鹿になるとか、アメリカの小麦輸出代金を使って日本国内で洋食普及キャンペーンっていうのをやってるんです。例えば、キッチン・カーっていうライトバンの中に調理施設を積み込んだものがあって、それで、全国津々浦々の農村とか、団地を回って、小麦とか大豆、それから肉を使った料理のレシピを普及させる運動をやった。これ、実は厚生省がやっているわけです。その資金はPL480というアメリカから出た資金でやっている。

◆アジアを分割統治し続けているアメリカ
アメリカは1951年の「サンフランシスコ条約」で占領を終わらせ日本を独立させましたが、同時に「日米安全保障条約」を結び、日本の抑え込みを図るとともに、日本と隣国(韓国、北朝鮮、中国、ロシア)との間で争うように仕向けてきました。これがバラク・オバマ大統領まで続いた戦後の「東アジアレジーム」の基本的な構造です。


§5-2 WGIP——GHQが推進した精神劣化政策
   WGIP;War Guilt Information Program(戦争犯罪情報宣伝計画)

◆言論統制 《 歴史から消された「通州事件」 》
現在、最も詳(くわ)しい近代史年表とされている岩波書店の『近代日本総合年表』は、8百ページを超える大冊であるが、昭和12年の項に通州事件のことは一行も書かれていない。おそらく、意図的に省(はぶ)いたのであろう。7月28日まで書いてあるのに、翌29日に起きた事件について一言もふれていない。また同年12月14日に、冀東(きとう)政府(北シナに成立した政府)が殺された人の弔慰金(ちょういきん)120万円を払ったことにも一行の記述もない。


§5-3 戦後の言論界を牛耳った「進歩的文化人」という名の敗戦利得者たち

◆東西文化融合の時代と無臍人
母の胎内にある時は、臍の緒というもので栄養を吸収して育って、そして外に出るとその臍の緒を切って、その痕跡が臍になるのですから、明らかに臍というものは、戦後の憲法流に言いますならば、伝統の象徴であります。臍のある限りは我々に歴史・伝統というものがあるということであります。ところが、その大事な歴史・伝統というものを目の敵のように疑惑したり、否定したりする。それを称して「臍のない人間」という。いわゆる進歩的文化人などといわれる人々に、この臍なし人種が非常に多いのであります。

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