電脳筆写『 心超臨界 』

手本は人を教える学校であり
他からは何一つ学べない
( エドマンド・バーク )

◆日本は三つの原爆投下を体験している――火の原爆・氷の原爆・心の原爆

2024-10-14 | 05-真相・背景・経緯
§5 戦後の戦争に敗れた日本
◆日本は三つの原爆投下を体験している――火の原爆・氷の原爆・心の原爆


広島・長崎原爆(火の原爆)の死者数は30万人。一方、スターリンによるシベリア抑留は37万人あまりの日本人の生命を奪った(氷の原爆)。では、日本人が投下されたもうひとつの原爆とは何か。実は、後遺症という点では、三つ目の原爆のほうがはるかに被害が大きいといってもいい。東京裁判である。東京裁判でただひとり日本無罪論を展開したインド代表のラダ・ビノード・パール判事は、かつて訪日した折、日本人の原爆に対する態度(「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」)を見て、「東京裁判で何もかも悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグが、これほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。東京裁判の影響は原爆の被害よりも甚大(じんだい)だ」と嘆かれた(心の原爆)。


『第四の国難』
( 前野徹、扶桑社 (2001/05)、p144 )

われわれ日本民族は昭和20(1945)年に、三つの原爆投下を体験しているといったら、みなさんはどう思われるだろうか。原爆は広島、長崎の二回ではないかと不思議に思われる方がほとんどだろう。

しかし、この原爆投下にまさる原爆級の甚大な被害と後遺症をもたらしたものがあと二つ存在している。ひとつはこれまで述べてきたシベリア抑留。アメリカの行った原爆投下が「火の原爆」とすれば、シベリア抑留は「氷の原爆」である。

前述したアルハンゲリスキー氏の『プリンス近衛殺人事件』の原題は、『シベリアの「原爆」』で、氏はあえて次のようなスターリンとベリヤ(ソ連内務人民委員部)とのやり取りを想定して、スターリンにこういわしめている。

「『ヒロシマで死んだのは18万人くらいでしょうか』と答えたベリヤに、スターリンは書類に視線を落として言った。『ここにはヒロシマ二つ分より多いとある。つまり、同志ベリヤ、われわれはシベリアの日本人に少なくとも原爆二つを落としたことになる』」

正確には、8月6日のヒロシマ原爆による即死者は約7万人、その後、原爆症で亡くなった人を合わせると、ナガサキ原爆も含めて、原爆死没者は総数29万5千956人にも及ぶ。確定しているだけでも火の原爆以上の37万人あまりの日本人の生命を奪ったシベリア抑留はまさに「氷の原爆」である。

しかも、広島・長崎原爆の死者はどんな形にせよ、慰霊碑の建立などにより弔われているが、氷の原爆の被害者の魂は、今も凍(い)てつくシベリアの地を彷徨(さまよ)い続けている。ソ連の犯した罪はあまりにも重い。

では、日本人が投下されたもうひとつの原爆とは何か。実は、後遺症という点では、三つ目の原爆のほうがはるかに被害が大きいといってもいい。東京裁判である。

東京裁判でただひとり日本無罪論を展開したインド代表のラダ・ビノード・パール判事は、かつて訪日した折、日本人の原爆に対する態度(ブログ追記:「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」)を見て、「東京裁判で何もかも悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグが、これほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。東京裁判の影響は原爆の被害よりも甚大(じんだい)だ」と嘆かれた。

日本の行く末を心配しながらパール博士がお亡くなりになって、はや34年が経つ。その間、東京裁判病が治癒するどころか、猛威を振るった。そして、現在、自虐史観は日本人の価値観にすらなっている。あの世のパール博士は、今、どんなお気持ちで朽ち行く日本をご覧になっていらっしゃるのだろうか。

火の原爆、氷の原爆、心の原爆……三つの原爆投下を一度に体験した日本人は不思議な民族である。そして、まだどの原爆の傷も癒(い)えてはいない。
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